2019-09-01から1ヶ月間の記事一覧
外苑西通りから東京大学医科学研究所裏の坂道に入ると煉瓦造の擁壁がある。擁壁の上の塀は工事中? 塀の向こうは看護師宿舎。 にほんブログ村
国立科学博物館附属自然教育園の東の通りに面したコインパーキングの擁壁の一部に煉瓦が積まれている。駐車場は8月20日で閉鎖され、コインパーキングの機材を撤去作業中だった。 にほんブログ村
東京大学医科学研究所の近代医科学記念館から南西に約100m、目黒通り(都道312号)から坂道を約60m下ったところに煉瓦造の擁壁がある。 東京大学医科学研究所 近代医科学記念館 ネットで、ここに白金三光支流と呼ばれる川があって今は暗渠になっているという情…
JR東日本の東京総合車両センター(旧・大井工場)内の御料車庫には、皇室専用の鉄道車両(客車)が格納されている。スポル品川大井町の脇の道から近寄ってみたら、ネット越しにしか全体が見えなかった。 スポル品川大井町 キャッツ・シアター 品川区役所のテラス…
2018年7月に竣工した三菱鉛筆の新本社ビル。 建物東側を桜並木の歩道「えんぴつロード」 西隣りの品川郵便局の手前の駐車場に煉瓦基礎の遺構のようなものがあった。 三菱鉛筆の創業は、1887年(明治20年)の真崎鉛筆製造所の設立に遡る。真崎鉛筆製造所は1916…
岩倉具視の墓がある海晏寺(かいあんじ)。焼き過ぎ煉瓦の門。 刻印が見つかる。「チ」と「九」? 千葉煉瓦? 「チ」と「二」? 千葉煉瓦? 「チ」と「三」? 千葉煉瓦? (右) 梅と「タ」? 田中煉瓦? 旧仙台坂(くらやみ坂) タブノキ 仙台坂トンネル 仙台味噌…
時宗寺院の長徳寺。背後に品川区立城南小学校の校舎が見える。 長徳寺の墓地に煉瓦塀に囲まれた墓がある。 品川区立城南幼稚園の前に建つ「品川区立城南小学校」の立て札。城南小学校は明治7年に常国寺に開校。 標石。品川区のマークかと思ったが、西鉄のマ…
海徳寺の西側の塀の下部が鍰煉瓦(からみれんが)。 「奉納」と「明治四十三年十月」と記されている。 さらに進むと本覚寺の塀の角に「KHK」と記された京浜急行の標石(境界石)が見つかる。背後の高架に京急の電車と新馬場駅が見える。 鍰煉瓦についてはこちら…
東海道品川宿の本陣跡。1872年(明治5年)に宿駅制度が廃止された後は警視庁品川病院が建てられた。病院は東品川に移転。1938年(昭和13年)に区立聖蹟公園として整備された。場所は、山手通りと八ツ山通りの交差点近く。聖蹟公園の名は1868年(明治元年)の明治天…
御殿山下台場砲台跡地の品川区立台場小学校に、台場跡から見つかった石垣を使った記念碑が建つ。台場小学校の名は台場砲台に因む。 正和稲荷神社 山手通り近くの駐車場の境に煉瓦塀 にほんブログ村
北品川の煉瓦巡りの2カ所目は、善福寺。 名工「伊豆の長八」こと入江長八の作の龍 「分銅」印の刻印。 「分銅」印と「ハ」の刻印。 文献[2]によると、かつては横浜市内で発掘される「分銅」印の煉瓦は小菅集治監製と推測されていたが、2007年に川崎市幸区戸…
北品川の煉瓦巡り。京急の北品川駅で下車して、第一京浜(国道15号線)を南に歩く。まず、目に付いたのがガレージ横の塀。上部に煉瓦を3段積んである。 刻印? よく見ると奥に煉瓦造の蔵。 京急の高架下の駐車場の塀がフランス積みの煉瓦塀。塀の向こうに煉瓦…
吉野石膏の東京工場の駐車場の塀越しに煉瓦造建物の一部と思われる壁が残る。 にほんブログ村
堀之内氷川神社に煉瓦造の祠がある。堀之内氷川神社の創建は不詳だが、堀之内村が宮城村から分村した江戸時代に村の鎮守社として創建したものと推定されている。 本殿基礎も煉瓦 神社裏の工場をよく見たら、正面の壁や柱は煉瓦造だった。 足立区の保存樹木の…
首都高速川口線の江北ジャンクションの近くにある熊の木ひろばに、熊之木圦(いり)がある。明治時代には、神領堀(じんりょうぼり)の水を熊之木圦から旧荒川(今の隅田川)に落としていた。戦後、神領堀の護岸工事で、熊之木圦は埋められていたが、神領堀緑道と…
足立区新田に2つの煉瓦造の蔵が残る。 文献[1]で松下光七氏所有と紹介されている蔵 文献[1]で茂出木慶三氏所有と紹介されている蔵 江北地区|足立区 文献 [1] 足立区立郷土博物館 1992「炎のなかから生まれた近代 文明開化とあだちの煉瓦」 [2] 佐藤貴浩 202…
かつて川崎駅東口から京急塩浜駅まで6.95kmを市民の足として活躍した川崎市の路面電車(市電)の車両が桜川公園に展示されている。川崎市電の運行期間は1934年(昭和19年)から1969年(昭和44年)までの25年間と短い。この車両は1922年(大正11年)製造で、東京都で…
立教大学の前身の立教学校は、1874年(明治7年)に築地で米国聖公会系の一私塾として開校した。1918年(大正7年)に池袋の現在の地に移転。ゴシックリバイバル様式の煉瓦造建物が当時の姿で残る。 立教大学正門 本館(モリス館, 東京都選定歴史的建造物)。宣教師…
新永間市街線高架橋の続き。有楽町駅国際フォーラム口の北側から東京駅まで。 有楽稲荷神社 有楽町駅国際フォーラム口 第3有楽橋架道橋 この辺りはイギリス積み 第4有楽町橋高架橋 鍛冶橋架道橋 鍛冶橋寄高架橋。ここより北では煉瓦高架橋は見ることができな…
新永間市街線高架橋の続き。新橋駅西口の北側から有楽町駅まで。 新橋駅西口広場(SL広場)。平日の夕方。たくさんのサラリーマン。 お盆休みの猛暑日の昼間。人がいない。 二葉橋架道橋。3径間ゲルバー鉄桁橋。 二葉橋架道橋から幸橋架道橋までが二葉町橋高架…
JR東日本の東京駅のやや北から新橋駅の南まで山手線と京浜東北線は1910(明治43年)完成の煉瓦アーチ式高架橋の上を走る。この区間は建設当時、浜松町付近の「新銭座」と、東京駅北側の「永楽町」を結んだことから「新永間市街線」と呼ばれた。新銭座と永楽町…
新橋駅から南に徒歩6分の新橋住友ビルは、エントランスに愛媛県の四阪島銅製錬所で自家用に鋳造して使用していた鍰煉瓦(からみれんが)を敷石としている。新橋住友ビルには住友金属鉱山の本社が入居している。その関係か。 鍰煉瓦についてはこちらのブログ記…
JR田町駅から徒歩12分の芝浦西運河に架かる船路橋。 平行してモノレールが走る 二重円に「電路」の文字と内円に東京市電氣局の徽章の刻印のある煉瓦が埋め込まれている。 大正から昭和にかけて、この場所に都電の修理工場があった。船路橋は修理工場に都電が…
寛永寺谷中第二霊園の8Bに徳川15代将軍慶喜の墓がある。お墓は葺石円墳状。 にほんブログ村
谷中霊園の乙11号1側の渋沢家墓所に渋沢栄一の墓がある。渋沢栄一は「近代日本経済の父」とか「日本資本主義の父」とされる。煉瓦巡りでは渋沢栄一は避けては通れない。渋沢家の家風か、背面を除いて囲いもなくオープンな墓所。 左から2番目が渋沢栄一の墓 …
寛永寺谷中第一霊園のB2の区画に妻木頼黄(つまきよりなか)の墓がある。妻木頼黄は横浜赤レンガ倉庫の設計者。東京駅を設計した辰野金吾のライバルとされる。寛永寺谷中第一霊園は谷中霊園の中に飛び地のようにある。 「墓地」の標石(境界石) 向かいには谷中…
谷中霊園の芋坂の近くにガンタ積み(空間積み)の擁壁がある。モルタルで補強されていた。 芋坂 芋坂跨線橋から日暮里駅 羽二重 団子本店 「王子街道」の道標 台東くん!JR #日暮里駅 の西口が新しく生まれ変わったパゴッ✨#猫 が隠れている駅看板が可愛くて…
谷中霊園に煉瓦を積んだ墓がある。 脇には煉瓦が敷かれている 刻印も見つかる。丸にサ? 丸に「サ」の字の刻印は、神田駿河台の松山堂の蔵の煉瓦でも見つかる。 あとはよくわからない 近くでスクラッチタイルを貼った柱で囲われた墓を見つけた。 天王寺の大…
神田淡路町二丁目にあった「松山堂の蔵」の小屋組など既存部材を再利用して復元した蔵が、御茶ノ水ソラシティの脇にある。ギャラリーとして活用されている。 脇に「松山堂の蔵」の記憶を継承する目的で、蔵から切り出した煉瓦壁を展示している。 丸に「サ」…
御茶ノ水ソラシティに「岩崎彌之助邸跡」の碑がある。彌之助は三菱財閥の創始者の岩崎彌太郎の弟。1872年(明治5年)、21歳で米国に留学。翌年、父の急逝で兄に懇願され帰国。三菱商会に入社。翌年、後藤象二郎の長女の早苗子と結婚。元後藤の家だった駿河台東…