週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

新永間市街線高架橋(その1) 港区新橋

JR東日本の東京駅のやや北から新橋駅の南まで山手線と京浜東北線は1910(明治43年)完成の煉瓦アーチ式高架橋の上を走る。この区間は建設当時、浜松町付近の「新銭座」と、東京駅北側の「永楽町」を結んだことから「新永間市街線」と呼ばれた。新銭座と永楽町を最短距離で直線で結ぶと銀座を横切ることになり、用地取得が用意でないため、当時の新橋駅から西に300mほど迂回させた。1909年(明治42年)に烏森駅(現在の新橋駅)までが完成し、翌年には東京駅の北側に設けられた呉服橋仮駅までが全通した。1914年(大正3年)の東京駅開業の際に、鳥森駅は新橋駅、旧新橋駅は汐留駅と改称した。東海道線は1889年に新橋・神戸間が全通。この時の新橋駅は東新橋の旧新橋駅(旧新橋停車)。新永間市街線高架橋は2010年(平成22年)に土木学会選奨土木遺産に選出された。

線路の西側から。新橋駅の南の国道15号線(第一京浜)の源助橋架道橋から北に煉瓦アーチ式高架橋が敷設された。架動橋は3径間ゲルバー鉄桁橋だった。連続アーチ橋は、耐震性の点で、一か所崩れると連動する恐れがあるため、3~4径間ごとに大橋脚を作り鉄橋を掛け、より強固な構造にした。
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市街線高架橋の煉瓦アーチ橋は、径間12mと径間8mのアーチを標準設計とし、内部空間の有効利用や基礎への負担軽減などの理由から、欠円アーチが用いられた。
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源助橋架道橋から芝口橋架道橋までが第2源助町橋高架橋。上部は落下防止の網がかけれている。そのためよく見えないが網のかかっている部分とその下の部分では煉瓦の表面の状態に差がある。網の下の部分は、関東大震災の火災で焼けた表面を化粧煉瓦で修復したのではないかとの指摘もある。
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化粧煉瓦で修復されたと思われる箇所。コンクリート壁の表面に15mm厚の化粧煉瓦が貼られているように見える。
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八兵衛の先の歩道のガードを抜けて振り向くと煉瓦アーチ式高架橋の東面が確認できる。緑色のバケツのあたりの左右で煉瓦の色に差があるように見える。右側は小口積みだが、左側はイギリス積み。小口積みの部分は化粧煉瓦による修復でイギリス積みが当初の煉瓦か?
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線路の西側に戻って。芝口橋架道橋と日陰橋架道橋がV字に交わる。
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芝口橋架道橋。左上のボコボコした煉瓦は修復前の煉瓦か?
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日陰橋架道橋
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日陰橋架道橋の東側にメダリオンが残っている。
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円形の縁取りはメダリオン専用の煉瓦が用いられている。
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線路の西側に戻って。日陰橋架道橋から鳥森橋架道橋までが日陰町橋高架橋。
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鳥森橋架道橋
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新橋駅 鳥森口。鳥森橋架道橋から二葉橋架道橋までが鳥森町高架橋。烏森から中央停車場(東京駅)までのほとんどが外濠築堤の内側にある官有地で用地買収の必要がなかった。
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新橋駅日比谷口
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新橋駅ホームの南端から、西側の山手線と京浜東北線が煉瓦アーチ式高架橋の上を走り、その東側に増設されたコンクリート高架橋の上を東海道線が走る。
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新橋駅5番ホーム(山手線内回り)下の煉瓦
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新永間市街線高架橋の解説シート | 土木学会 選奨土木遺産

第47回 東京市街線 -明治期に作られた煉瓦造の高架橋 |鹿島の軌跡|鹿島建設株式会社

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