御茶ノ水ソラシティに「岩崎彌之助邸跡」の碑がある。彌之助は三菱財閥の創始者の岩崎彌太郎の弟。1872年(明治5年)、21歳で米国に留学。翌年、父の急逝で兄に懇願され帰国。三菱商会に入社。翌年、後藤象二郎の長女の早苗子と結婚。元後藤の家だった駿河台東紅梅町の高台の洋館に住む。1885年(明治18年)に兄の跡を継ぎ三菱財閥の2代目総師となる。1893年に彌太郎の長男の久弥に総師の座を譲る。
ソラシティと隣のビルの間に岩崎邸・三菱社の擁壁の煉瓦を再利用して造られた煉瓦塀がある。
小菅集治監の刻印
御茶ノ水ソラシティは、日立製作所本社ビル(後に御茶ノ水セントラルビルと改名)の跡地に建設された複合施設(2013年開業)。
お茶の水橋からの夕焼け