週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

吉田温泉神社古墳 那珂川町吉田

那須八幡塚古墳から北に約500mの吉田温泉(ゆぜん)神社古墳を訪れた。吉田温泉神社古墳は、駒形大塚古墳・那須八幡塚古墳よりやや後出する4世紀末から5世紀初頭頃に築造された前方後方墳。推定墳丘は全長約50m弱で南面する。

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この地域は国指定史跡 那須小川古墳群

     吉田温泉古墳群

     に指定されました。

那珂川町教育委員会

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吉田温泉神社古墳

本古墳の後部墳丘は、戦時中に削平を受け、 残存する前方部墳頂に温泉神社が祀られている。後部墳丘削平の際に剣・短冊形鉄斧・ 土師器などが木炭とともに出土したといわれる。このうち短冊形鉄斧と土師器は現存しており、この遺物からこの古墳がかなり古いころの築造であることは明らかである。 昭和48年3月の後部墳形の確認調査によって後部墳丘の立上りの平面は、東・北・西側で直線的に延び北西及び北東隅で角形となることが確認され、後部墳形が方形であったことが判明した。また、後部墳丘の南西コーナーでくびれ、それが連続していくことも確認され、温泉神社古墳の原形が南面する「前方後方墳」であることが確定的となった。 後方部には、明確な周溝は伴わず、墳丘立上りの外側は、幅の広い不規則な土取りの低い面となっている。後方部の幅は約二十五メートル弱を測り、これを残存する前方部を含めて計測すると、推定墳丘は五十メートル弱となる。

遺物からみて遅くとも4世紀末から5世紀初頭頃には、築造されていたと推定される。従って、町内にある三つの前方後方墳の中では最も小さく、他の西面する二つの古墳(駒形大塚古墳・那須八幡塚古墳)に比べ、本墳は、南面する古墳であることを考慮すると時代的にも他の二つの古墳よりやや後出するものと推察される。

那珂川町教育委員会

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参道の東側に吉田温泉2号墳と3号墳の2基の方墳が現存するようだが、確認できなかった。

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栃木県那須郡那珂川町吉田 吉田温泉神社古墳 | 古墳探訪記
那珂川町吉田温泉神社古墳群(那須小川古墳群 その2) | 趣味の案件

文献

[1] 小川町教育委員会 1991 『吉田温泉神社古墳』小川町教育委員会

[2] 栃木県立なす風土記の丘資料館 1993『前方後方墳の世界 - 前方後方墳の成立と展開 -』

[3] 小川町教育委員会 1999 『小川町埋蔵文化財調査報告12:那須吉田新宿古墳群 発掘調査概要報告』小川町教育委員会

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