ヤクオクで競り落とした書籍を紹介するシリーズの初回として、1986年に埼玉県県史編さん室が発行した「埼玉県古式古墳調査報告書」を紹介する。
埼玉県は1986年に「新編埼玉県史」の「通史編1(原始・古代)」を発刊した。県史考古部会では、通史編を編集するに当り、県内の主要な初現期の古墳7基を選び、発掘調査を計画、実施した。その結果、埼玉県では前方後方墳が最も古く、5世紀初期には埴輪を持つ古墳も出現していた事実が確認された。本書は、その調査の結果をまとめたもの。
調査対象の7基:
1. 鷺山古墳(児玉町)
2. 諏訪山29号墳(東松山市)
3. 熊野神社古墳(桶川市)
4. 三変稲荷神社古墳(川越市)
5. 雷電山古墳(東松山市)
6. 金鑚神社古墳(児玉町)
7. 公卿塚古墳(本庄市)
下記の5基は訪問済み。
本書では埼玉県における前期古墳の形成を4期に分け概観する。
第1期は、埼玉県における古墳築造の開始期で、鷺山古墳(前方後方墳)の築造に始まる。近畿地方に定形化した前方後円墳が出現してから間もなく形成されたと推定される。暫く経つと比企地方に諏訪山29号墳と山の根古墳などが形成されるようになる。これらの古墳は前方後方墳に方墳が付随する。前後して前方後方形周溝墓の形成も始まると推定される。
第2期は、前方後円墳の築造が始まる時期で、諏訪山古墳の築造に代表される。川口市高稲荷古墳と川崎市観音松古墳が、この時期の前方後円墳と推定される。他には熊野神社古墳、三変稲荷神社古墳(方墳)、長坂聖天塚古墳などがあげられ、東松山市天神山古墳、物見塚古墳、前山1号墳などが候補となる。この時期の古墳は前方後円墳と円墳が主流になる。主体部は粘土槨か木棺直葬で、規模に比べて豊かな副葬品を持つのも一つの特徴と考えられる。方形周溝墓の形成はこの時期まで続くと推定される。
第3期は、埴輪、葺石、段築など典型的な古墳の様相を備えた雷電山古墳(帆立貝型)の築造に始まる。この古墳は、規模や立地から考え、今までの古墳の被葬者に比べると広大な地域を支配下に置いたものと推定される。児玉地方では、壷形埴輪を配置した川輪聖天塚古墳が築造され、やがて、定形化した円筒埴輪を持つ金鑚神社古墳、生野山将軍塚古墳、公卿塚古墳、志渡川古墳などが築造される。この時期は典型的な前方後円墳が確認されていない。また、方形周溝墓群に代って小円墳が出現する。主体部は木棺直葬や粘土槨が主体だが石材を使用したものが出現する。副葬品には武器・農工具類を出土するものと石製模造品が加わるものがある。
第4期は、画期となる古墳をあげることができない。生野山9号墳(円墳)、やまと古墳、埼玉稲荷山古墳などに代表される。この時期の後半には典型的な前方後円墳が築造される。この時期は小型古墳に埴輪や葺石の普及、古墳の築造される地域の拡大、初期的な群集墳の形成開始など小型古墳に画期が見られる。石製模造品は副葬されなくなり、副葬品に新たに馬具が加わると推定される。円筒埴輪の地域性が薄れ、人物埴輪や馬形埴輪が出現、焼成が野焼きから窯焼きに変化する。
埼玉県教育委員会では平成元(1989)年度から埼玉県内所在古墳詳細分布調査を実施。平成元年度から5年度にかけて地域毎に選定した古墳の試掘・測量調査を実施した(文献[2])。平成元年度に実施された東松山市の根岸稲荷神社古墳、吉見町の山の根古墳の調査の結果から、根岸稲荷神社古墳を山の根古墳よりも古い埼玉県最古の古墳(前方後方墳)と位置付けるのか、根岸稲荷神社古墳を前方後方形墳丘墓と分類して山の根古墳を埼玉県最古の古墳(前方後方墳)と位置付けるのかの議論がある(文献[3])。
文献
[1] 埼玉県県史編さん室 1986『埼玉県古式古墳調査報告書』埼玉県県史編さん室
[2] 埼玉県立さきたま資料館・学芸課 1992「古墳詳細分布調査 試掘・測量調査の報告」埼玉県立さきたま資料館「調査研究報告」第5号
[3] 利根川章彦 2012「『埼玉の古墳出現』断章」埼玉県立さきたま史跡の博物館紀要 第6号