週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

廣瀬武夫と杉野孫七の像 旧万世橋駅前広場

かつて、万世橋駅前広場に建てられていた日露戦争の英雄、廣瀬武夫と杉野孫七の巨大な銅像


万世橋駅 (明治・大正時代) Old Manseibashi Station (Meiji and Taisho Periods)

中央本線のターミナル・万世橋駅は当時東京でも屈指の繁華街だった須田町交差点前に、1912年(明治45) 4月1日に開業した。当時の最新の技術で作られた煉瓦アーチの高架線を背にして建てられた駅舎は、後に東京駅丸の内駅舎の設計も手掛けた明治建築界を代表する建築家、辰野金吾と葛西万司の設計で、壮麗なレンガ・石積(一部鉄骨造り) の2階建てで、駅舎内には食堂も併設されていた。 駅前広場には日露戦争の英雄、廣瀬武夫と杉野孫七の巨大な銅像が建ち、須田町交差点には東京市電の 各系統が集まり中央線電車と市電の乗り換えターミナルとして、ますます賑わいを増していった。しかし、1914 (大正3)年に東京駅が開業し、1919(大正8年中央本線が東京駅まで開通すると、万世橋駅はターミナルとしての役割を終えて中間駅となり、乗降客も減っていった。そして1923(大正12)年の関東大震災で駅舎が焼失してしまい、1925年(大正14)年には2代目駅舎が完成したものの、初代駅舎の壮麗さは全く失われてしまった。

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