かつて、万世橋駅前広場に建てられていた日露戦争の英雄、廣瀬武夫と杉野孫七の巨大な銅像。
旧万世橋駅 (明治・大正時代) Old Manseibashi Station (Meiji and Taisho Periods)
中央本線のターミナル・万世橋駅は当時東京でも屈指の繁華街だった須田町交差点前に、1912年(明治45) 4月1日に開業した。当時の最新の技術で作られた煉瓦アーチの高架線を背にして建てられた駅舎は、後に東京駅丸の内駅舎の設計も手掛けた明治建築界を代表する建築家、辰野金吾と葛西万司の設計で、壮麗なレンガ・石積(一部鉄骨造り) の2階建てで、駅舎内には食堂も併設されていた。 駅前広場には日露戦争の英雄、廣瀬武夫と杉野孫七の巨大な銅像が建ち、須田町交差点には東京市電の 各系統が集まり中央線電車と市電の乗り換えターミナルとして、ますます賑わいを増していった。しかし、1914 (大正3)年に東京駅が開業し、1919(大正8年、中央本線が東京駅まで開通すると、万世橋駅はターミナルとしての役割を終えて中間駅となり、乗降客も減っていった。そして1923(大正12)年の関東大震災で駅舎が焼失してしまい、1925年(大正14)年には2代目駅舎が完成したものの、初代駅舎の壮麗さは全く失われてしまった。
明治37(1904)年3月27日、第二回旅順閉塞作戦が実施されました。
— 記念艦 三笠 (@KinenkanMikasa) 2018年3月28日
閉塞船福井丸を指揮した #廣瀬武夫 少佐は行方不明となった部下の杉野孫七兵曹長を探しましたが発見出来ず、諦めて離船時に敵弾を浴びて戦死しました。
記念艦 #三笠 艦内にはこの福井丸の船材で造られた手元箱を展示しています。 pic.twitter.com/lBVsH1Dl8a
万世橋駅(1912年/東京市神田区)
— 藤沢うるう / 近代・建築・土木・遺産 (@fujisawa_uruu) 2019年7月10日
駅舎は辰野金吾による設計。東京駅より万世橋駅のほうが2年早く東京駅のデザインにかなり近い。
駅前には日露戦争の旅順港閉塞作戦で戦死した広瀬武夫と杉野孫七の銅像がある。
1923年の関東大震災により解体。わずか11年の命だった。 pic.twitter.com/uRMtIaKH6n