週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

巡洋艦「オチャーコフ」の切手(ソビエト連邦、1972年)

子供のときに趣味で集めた切手を紹介する。

ロシア帝国で建造された防護巡洋艦「オチャーコフ」の切手(ソビエト連邦、1972年)

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巡洋艦「オチャーコフ」は、ロシア帝国で建造された防護巡洋艦で、艦名は、露土戦争(1787年-1791年)のオチャーコフ攻囲戦(1788年)の戦地となったウクライナの都市名に由来する。巡洋艦「オチャーコフ」は、クリミア半島南西部のセヴァストポリの国有工廠で1901年2月に起工、1902年9月に進水式を行ったが、日露戦争の影響で建造は遅延、1905年6月に発生したポチョムキンの叛乱の影響を受け、同年11月に建造中のオチャーコフ艦上でも叛乱が発生(オチャーコフの蜂起)、数日で制圧されたが、艦体は損傷。不吉な反乱艦名は「カグール」と改名され1909年6月にようやく竣工。「カグール」はモルドバの都市名。第一次世界大戦(1914年から1918年)中の1917年2月にロシア革命(二月革命)が起き、4月に艦名を「オチャーコフ」に戻す。その後、紆余曲折があり、1920年に地中海沿岸のチュニジア北部でフランス政府に抑留。1924年ソビエト連邦への帰属が認められたが帰国することなく解体された。ちなみに、オチャーコフ攻囲戦では、グリゴリー・ポチョムキン公爵とアレクサンドル・スヴォーロフ元帥がロシア帝国軍を率いた。

Очаков (бронепалубный крейсер) — Википедия

File:1972. Крейсер Очаков.jpg - Wikimedia Commons

ウクライナとロシアの市民に平和と安全を

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