あらかわ遊園周辺デジタルスタンプラリーを巡った際に、東京初空襲の地、熊野神社跡、熊野の渡し、玄琳牡丹屋敷跡を巡った。
東京初空襲の地
熊野神社跡
熊野の渡し
玄琳牡丹屋敷跡
#何かイロイロでてきたもの
— 海軍大臣 (@25XMoYHgFLvjqBN) 2021年4月23日
「連合艦隊司令長官 山本五十六」では本編未使用になったドーリットル空襲シーン。
特撮フィルムは残っていないのでしょうか?
ちなみに、戦時中に実物を目撃した東宝関係者が、機体に描かれた星マークから、サッポロビールの宣伝機と勘違いした、との話が残ります。 pic.twitter.com/gmnuehUyL5
米軍機が初めて日本の本土を襲った「ドーリットル空襲」で荒川区東尾久が被害に遭いました。
— 北村あや子 🌈荒川区議会議員 (@Ayako_K_arakawa) 2021年8月5日
その東尾久8丁目の防空壕。
本日取り壊しと伺い、急遽見てきました。立派な防空壕でした。
入口幅80cmほど、急斜面を降りて防空壕に避難した方々の恐怖が、苦しさが今も伝わります。
戦争はだめです。 pic.twitter.com/0ISv3yaqW7
【「ドーリットル空襲」から80年】
— NHKアーカイブス (@nhk_archives) 2022年4月17日
田村正彦さんは6歳の時、荒川区で「本土初空襲」を体験しました。東京だけで約40人が死亡しましたが軍は「極めて軽微な損害」と発表していました。「『爆弾の跡を見た』と先生に言ったら『絶対誰にも言うな』とものすごい形相で怒られて」。https://t.co/zTiDNd0fex pic.twitter.com/mi4LTO2dok
#RemakePhantom
— ヴェネラブル (@R63_Venerable) 2022年5月19日
“B-25”を搭載し,太平洋を横断してる「ホーネット」
その後,ドーリットル空襲を行った。
その⑤ pic.twitter.com/DuCAvWNbKJ
1942年4月に東京など主要都市が米軍機の初空襲を受けた「ドーリットル空襲」。その後の戦局に大きな影響を与えたにもかかわらず、正確な報道がされなかったこともあって注目を集めなかった。それから80年。体験者の証言や写真から空襲の実相をたどった。
— 東京新聞編集局 (@tokyonewsroom) 2022年6月16日
東京新聞 TOKYO Web https://t.co/9Oo0NR23F6
1942年4月18日
— NHKアーカイブス (@nhk_archives) 2022年8月13日
「ドーリットル空襲」
日本本土が初めてうけた空襲ですが、当時その被害は伏せられ広く知られませんでした。
その事実を若い世代に引き継ごうとする取り組みです。↓https://t.co/3gXepoX3C6
NHK戦争証言アーカイブス
新・ドキュメント太平洋戦争 pic.twitter.com/qkAntbgFGJ