週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

巡洋艦「ヴァリャーグ」の切手(ソビエト連邦、1972年)

子供のときに趣味で集めた切手を紹介する。

ロシア帝国海軍の防護巡洋艦「ヴァリャーグ」の切手(ソビエト連邦、1972年)

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巡洋艦「ヴァリャーグ」は、ロシア帝国海軍の防護巡洋艦で、ロシア帝国海軍がアメリカ合衆国ペンシルベニア州フィラデルフィア市のウィリアム・クランプ・アンド・サンズ社に発注して1901年に竣工、日露戦争の口火を切った仁川沖海戦(1904年2月9日)の際に、圧倒的に不利な状況で大日本帝国海軍と交戦して大破、仁川港内で拿捕を防ぐため自沈。その後、大日本帝国海軍に鹵獲、修理後に二等巡洋艦「宗谷」として専ら練習艦として使用された。第一次世界大戦が始まると、ともに連合国の一員となったロシア帝国を支援するため、大日本帝国海軍日露戦争の際に接収したいくつかの艦船をロシア帝国へ売却もしくは譲渡した。「宗谷」も買い戻され1916年4月にロシア極東のウラジオストクロシア帝国海軍へ再編入され、艦名も元の「ヴァリャーグ」へ戻された。「ヴァリャーグ」は、ロシア語で、ゲルマン人の一派で、スカンディナヴィアから出てロシア平原に出現したヴァイキングの事とされる。イギリスでの修理中の1917年にロシア革命が勃発、ソビエト政府がロシア帝国の債務の支払いを拒否したため、イギリスに没収された。1920年にスクラップとしてドイツ企業に転売され、曳航中に座礁、解体・爆破された。ちなみに「宗谷」という艦名は、戦後(1957年から1962年)に南極観測船としても活躍した2代目「宗谷」に引き継がれた。2代目「宗谷」も紆余曲折があり、元々はソビエト連邦向けの商船(耐氷構造貨物船)として建造されたが日中戦争の激化で引き渡されず、日本帝国海軍が買い上げて輸送艦に2代目「宗谷」と命名、敗戦後は復員輸送に従事したあと海上保安庁に所属し、灯台補給船、巡視船(南極観測船時代を含む)として服務、1978年の退役後は船の科学館で保存船として公開されている。

Варяг (бронепалубный крейсер) — Википедия

File:1972. Крейсер Варяг.jpg - Wikimedia Commons

ウクライナとロシアの市民に平和と安全を

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