文京区本駒込の目赤不動尊に坪井正五郎博士のコロボックル説にちなむ碑が建っていると聞いて訪れた。
これがお目当ての碑。
「コロボックル人種」「人類学教授 坪井正五郎君」の文字が読める。
寛永年間に下駒込にあった「赤目不動尊」が徳川家光の命で現在の土地を賜り「目赤不動尊」と名を改めた。お堂は旧地に残った。1893(明治26)年に、旧地のお堂の修理中に地中から土器や石器が出土。人類学者の坪井正五郎博士は、コロボックル人種が使用した土器や石器と鑑定した。お堂の前の坂は当時は「不動坂」と呼ばれていたが、現在は「動坂」と呼ばれている。現在、動坂前には都立駒込病院があり、病院の外溝工事中に貝塚が見つかっている。動坂貝塚については2年前に記事を書いた。
目赤不動尊の近くの徳源院の「太古の遺跡の碑」にも同様の内容が刻まれている。
坪井正五郎博士は前年(1892年)に北区の西ヶ原貝塚を発掘している。
動坂前の説明板の写真を改めて見たら、ちゃんと書いてあった。
これは徳源院の説明板。
目赤不動尊の近くの旧町名案内。