1877年(明治10年)6月18日の39歳の誕生日に横浜港に到着した米国のモース博士は、翌日、横浜駅から新橋駅に向かう汽車の車窓から大森貝塚を発見した。政府の許可を得た上で9月16日に発掘を行ない、土器、骨器、獣骨を発見。出土品は東京大学に保管されている。1879年に調査報告書『Shell mounds of Omori』を刊行。品川区と大田区に碑があり、大森貝塚の発見地がどちらなのか不明であった。その後の調査で品川区で貝塚が見つかったが、大田区からは見つからなかったため、ほぼ決着している。
JR大森駅
品川区の大森貝塚遺跡庭園
貝層の剥ぎ取り標本
大森貝墟の碑の1/2サイズのレプリカ
名所には大森貝塚保存会の張り紙があり、見落としせずに助かる。
モース博士が大森貝塚で発掘した縄文時代後期の深鉢土器。昨年8月に東京大学総合研究博物館で見学した。
品川区歴史館。大森貝塚に関する展示、資料が充実している。モース博士の大森貝塚の報告書などを展示する。
大田区郷土博物館。こちらにも大盛貝塚のコーナー展示がある。エドワード・S・モースが館長を務めた米国マサチューセッツ州のセイラムのピーボディー博物館が収蔵する大森貝塚出土の土器片約70点から5点を長期貸出により展示する。
2019年に東京大学総合研究博物館の特別併設展示「人類先史、曙 - 東京大学収蔵、明治期の人類学標本 -」でモース博士の発掘した人骨、石器、土器など多数を見学した。
6月18日は考古学出発の日
日本の考古学は縄文から始まった!
— 縄文ドキドキ会@縄文オンライン蚤の市6/4〜6/13 (@jomondokicom) 2020年6月18日
今日は #考古学出発の日 大森貝塚の発見者、エドワード・S・モースが、アメリカから来日した日だそうです。
発見した土器を「Cord Marked Pottery」名付け
「縄文」という呼び名の元になりました。 pic.twitter.com/4hPtUIrSks