1975年に浄土寺趾と伝わる地で石室が検出された。1981年に周辺から小石室4基が検出された。これらを浄土古墳群と呼ぶ。文献[1]によると1号墳の「墳丘は消滅」「主体部は小公園として石室を保存。川原石による。奥壁は凝灰質砂岩の一枚岩。明確な羨道のない横穴式石室的縦穴式石室。胴張り。主軸N-21°-E。石室内の規模は長さ3.6m、幅は奥壁で0.65m、中央で1.0m、入り口で0.65m。天井は消滅。側壁は小口積みの持ち送り。」「出土遺物は石室床面より金環2点。」「昭和50年和田哲氏により調査。市史跡(昭和53.7.15.)」とされる。また、2号墳から5号墳は消滅。
川原石が露出している。
文献
[1] 多摩地区所在古墳確認調査団 1995『多摩地区所在古墳 確認調査報告書』
昭島市浄土古墳
— 唐草 (@archaeology_fan) 2021年1月10日
横穴式石室をもち、7世紀後半に築造されたと考えられています。
ネット情報なので真偽は不明ですが、元々植栽の中にあった石材が清掃の際に公園の隅に捨てられてしまったとか、、、
ちなみに昭島市郷土資料室には出土した玉が展示されていました。 pic.twitter.com/cXKat82XqN