週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基

七ツ塚古墳群 (再訪) 日野市新町

仕事納めの後、七ツ塚古墳群の残存する墳丘を確認するために再訪した。

七ツ塚公園から西側の日野自動車総合グラウンドの体育館。体育館の工事の時に七ツ塚の一つを潰したとの情報もある。

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体育館の南側に七ツ塚古墳群の4基の墳丘が残存する。北東から。

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南東から。左に4号墳、右に5号墳と6号墳。

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左手前の5号墳と右奥の6号墳を拡大。

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5号墳は文献[1]によると「墳丘は残存(南北5m、東西2.5m、高さ1m)。主体部は内容不明。」とされる。

6号墳は文献[1]によると「墳丘は残存(南北5m、東西2m、高さ1m)。主体部は内容不明。」とされる。

南から。4号墳。

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4号墳は文献[1]によると「墳丘は残存(南北10m、東西4m、高さ2m)。東側は直線状に削平される。主体部は内容不明。」とされる。

東から。3号墳。

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3号墳は文献[1]によると「墳丘は残存(東西4m、南北2m、高さ8m)。30cm程の川原石が露出している。主体部は内容不明。」とされる。文献[2]に3号墳の南側の道路を調査したときの写真(周溝と石室が写っている)と出土した土師器・杯の写真が掲載されている。

南西から。3号墳、4号墳、5号墳、6号墳。

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この木立の藪の中に2号墳があると思われる。

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2号墳は文献[1]によると「1954年に日野市史談会が調査。墳丘は消滅。主体部は砂岩による切り石積の横穴式石室が残存。玄室と羨道の区別なく、玄室に進むに従い幅を広げる。わずかながら胴張りが認められ、側壁から奥壁にかけて緩いカーブを描いている。床は10cm大の川原石を敷く。石室全長4.8m、羨道3m、玄室最大幅1m。羨道の閉塞は20cm大の川原石で行なっている。石室内より直刀、刀子、鉄鏃が出土。」とされ、文献[1]の七ツ塚古墳分布図では「現在は小さな窪地になっている」とされる。

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七ツ塚ファーマーズセンターと桑の木。

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江戸後期から明治期の多摩地区の養蚕については横浜市歴史博物館の市民ボランティアさんに大塚・歳勝土遺跡公園を案内していただいたときに話を聞いた。横浜港から輸出する生糸が日本の近代化を支えたとか。

文献
[1] 多摩地区所在古墳確認調査団 1995『多摩地区所在古墳 確認調査報告書』

[2] 八王子市郷土資料館 2009『多摩の古墳』八王子市教育委員会

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