神奈川県
昨年に引き続き、今年も神奈川県寒川町の大神塚(応神塚)古墳の発掘調査現場見学会に参加した。実際は、「小雨なら開催」のところ、小雨とは言えない雨で中止だった。中止を知らずに訪れたところ、見学させていただいた。ありがとうございます。昨年は後円部…
昨年に引き続き今年も蟹ヶ谷古墳群の発掘調査の現地説明会に参加した。2013年に始まった蟹ヶ谷古墳群の調査は、開始から10年を迎え、今回の第8次調査で、一旦、終了とのこと。この10年の調査で分かったことを、専修大学の高久教授に総括していただいた。川崎…
この日、最後に訪れたのが尾根山古墳群。 尾根山1号墳 尾根山2号墳? 尾根山3号墳? 帰りは栗原バス停から伊勢原駅北口に戻った。 おまけ、陰干の藁 にほんブログ村
保国寺の門前から聖峰登山口に向かう途中に三ノ宮・上栗原遺跡がある。行ってみたら、横穴墓群だった。 三ノ宮・上栗原遺跡 所在地 伊勢原市三ノ宮字上栗原 この付近は丹沢山地東端の丘陵部にあたり、蛇行する栗原川が深い谷を造り、そこに注ぐ無数の流れが…
次に伊勢原市No.145遺跡と伊勢原市No.43遺跡を訪れた。 伊勢原市No.145遺跡 伊勢原市No.43遺跡 伊勢原市No.145遺跡-伊勢原市No.43遺跡1【神奈川県伊勢原市】 - ぺんの古墳探訪記 にほんブログ村
次に訪れたのは御所神塚古墳。ひっつき虫が古墳のまわりをガードしていたので、墳丘には近寄れず。 御所神塚古墳【神奈川県伊勢原市】 - ぺんの古墳探訪記 埒の泉 にほんブログ村
埒免(らちめん)古墳を再訪。 正面に2005年に閉鎖恵泉短大伊勢原キャンパスの校舎が見える 齋藤家住宅 齋藤家住宅 | 伊勢原市 松山古墳 この先元宮 埒免古墳 埒免(ちちめん)古墳 埒免古墳は昭和三十九年に建物の建設中に発見されました。その際、石室内から飾…
伊勢原市の古墳巡りの続き。 松山古墳を再訪。 害獣駆除檻 文献 [1] 相原精次・藤城憲児 2000「神奈川の古墳散歩」彩流社 にほんブログ村
伊勢原市の古墳巡りの続き。 大山阿夫利神社 参道二の大鳥居で、大鳥居復元の由来と大山道について学ぶ。 大山阿夫利神社 参道二の大鳥居復元の由来 江戸時代末期国情賂然たるの時 上粕谷村を中心とする百四十余名の郷土の先輩たちがひたすらに天下泰平と国…
2018年の現地説明会の際に御領原古墳群の幾つかの古墳を巡った。今回は残りの古墳を巡った。 御領原古墳群(仮称5) 御領原古墳群(仮称7) 御領原古墳群(仮称8) 御領原古墳群(仮称9) 御領原古墳群(仮称11) 御領原古墳群2-3-4-5-7-8-9-11【神奈川県伊勢原市】 - …
上粕屋・秋山遺跡発掘現場公開の見学した後は、伊勢原市の古墳を巡った。伊勢原市の古墳巡りは、2018年の子易・中川原遺跡の現地説明会の後で、常連さんとご一緒したとき以来で4年振り。最初に訪れたのは古墳ではなく洞昌院の太田道灌の墓(胴塚)。心敬僧都の…
鎧塚古墳群の続き。墳頂の石造物にお供えされているのはフセギ? 鎧塚5号墳(手前)と6号墳(奥) 鎧塚5号墳 鎧塚6号墳 伊勢原市立高部屋小学校 にほんブログ村
鎧塚古墳群の続き。 右が鎧塚2号墳、左が鎧塚3号墳 鎧塚2号墳 鎧塚3号墳 鎧塚4号墳 にほんブログ村
ここから伊勢原市の古墳巡り。 上粕屋・秋山遺跡発掘現場公開は午前10:30からだったので、その前に、鎧塚古墳群を巡った。小田急伊勢原駅北口から伊23 七沢行きのバスを別れ道バス停で下車して鎧塚古墳群まで約13分歩いた。伊勢原駅北口からだと伊20 日向薬…
2月2日(木)、3日(金)の平日2日間で開催された上粕屋・秋山遺跡発掘現場公開。発掘調査中の作業の様子を見ていただきたいとのことで、平日開催となった。発掘されたのは縄文時代後期前葉の敷石住居と立石を持つ配石遺構群。配石遺構は、たくさんの石を立たせ…
旧第一銀行 横浜支店は、関東大震災復興期の1924年(昭和4年)に、多くの銀行建築を設計したことで知られる西村好時の設計で、古典主義様式として建てられた。4本の重厚なトスカナ式円柱と半円形のバルコニーが特徴。1980年からは横浜銀行本店別館として使用さ…
大岡川のさくらみらい橋の近くに残る横浜銀行集会所の建物基礎。横浜銀行集会所は、遠藤於菟(おと)が設計したアール・ヌーヴォー様式の建物(1905年)だったが、関東大震災(1923年)で倒壊した。 マル(○)に「ニ」の刻印? 大岡川とYOKOHAMA AIR CABIN(ロープウ…
神奈川県立歴史博物館で「洞窟遺跡を掘る」を鑑賞する前に、JR桜木町駅周辺で鉄分を補給した。 旧横濱鉄道歴史展示「旧横ギャラリー」は、1872年の鉄道創業時に英国から輸入された5種10両の機関車のうちの1両の10型機関車(110形)を展示する。10両のうち現存…
神崎遺跡は、神奈川県中央部、相模川の支流となる河川付近の標高24mの台地上に立地する弥生時代後期の環濠集落跡。土器は西遠江産が95%以上を占め、当該地域から集団移住があったと考えられている。弥生時代後期の南関東地域の社会のあり方を知る上で重要…
杉久保富谷児童公園の「杉久保遺跡・富谷横穴墓群」の説明板の地図に記されている豊受大神(豊受神社)を参詣した。 海老名郷土かるた「む」|海老名市公式ウェブサイト 神奈川県神社庁/神社検索/豊受大神 にほんブログ村
伊勢山古墳群は、東名高速道路海老名サービスエリアから約700m南の座間丘陵の最南端に位置し、発掘調査により崖線に沿って南北に2基の古墳が確認されている。1号墳は円墳と見られているが、周溝のごく一部が確認されているのみ、2号墳は周溝の約1/3と墳丘の…
東名自動車道海老名サービスエリアのすぐ南の杉久保富谷児童公園に「杉久保遺跡・富谷横穴墓群」の説明板が立つ。説明板の地図によると富谷横穴墓群は杉久保富谷児童公園の西側のそうてつローゼン杉久保店前の駐車場辺りにあったようだが、整地されたのか、…
平塚市の真土大塚山公園を訪れた。この公園は1996年に市が民有地を買収して開設。この公園には、すぐ南にあった真土大塚山古墳(現在は消滅)を再現したものがある。真土大塚山古墳は、砂丘上(標高8m)に造られていたため、発見時より墳丘の残りは良くなく、円…
牛山古墳は、2000年に東海大学が測量調査を実施(文献[2])、2016年に平塚市教育委員会と東海大学が2か所にトレンチを設定して実地調査して、高さ4.9m、一辺(南北)28m前後の規模を持つ隅丸方形墳と判定された。 リンク 「大神の史跡紹介 ①牛山古墳」『大神公民…
大神塚の説明板に明治41年の発掘調査の出土品(和鏡2面、漢鏡1面、直刀3振)や陪塚の出土品(金銀環、勾玉、管玉等)が寒川神社に展示されていると書いてあったので、参詣した。 寒川神社 大神塚古墳の出土品は方徳資料館に収蔵されているようなのだが、神嶽山神…
下寺尾官衙遺跡群は、小出川を望む標高約13mの相模原台地頂部に位置する相模国高座郡家(郡衙)と考えられる下寺尾官衙遺跡(西方遺跡)と台地の南裾に位置する下寺尾廃寺跡(七堂伽藍跡)を中心として、隣接する遺跡も含めた複数の遺跡からなる。官衙は約1300年前…
岡田遺跡の所在する台地の東向き小出川の谷に面する斜面中腹(標高13m前後)に越の山横穴墓群がある。1953年8月に赤星直忠氏による発掘調査で6基の横穴墓が確認された(文献[1])。また、1985年12月に6基の横穴墓から南側に約200mの斜面でも3基の横穴墓が確認さ…
相模川の支流の目久尻川と小出川に挟まれた標高24mの相模野台地上に所在する岡田遺跡は、縄文時代から弥生時代の遺跡で、特に縄文時代中期の集落址は、環状集落で、勝坂式期から加曽利E式期の竪穴住居址が600軒以上確認され、未調査を含めると推定1,000〜1,5…
3月に開催された大神塚(応神塚)古墳の発掘調査の現地説明会では、寒川駅前公園に集合して、地元のボランティアで方々が現地まで案内してくださった。その時に途中で立ち寄ったのが大塚古墳公園で、大神塚(応神塚)古墳の周辺にあった大神塚周辺古墳群の1基のE…
神奈川県立歴史博物館で野外展示されている旧山下居留地90番地中から出土した帝政ロシア製32ポンド砲。1959年にオランダ製11ポンド砲とともに出土。オランダ製11ポンド砲は横浜開港資料館の脇に野外展示されている。 博物館の前にあるこの大砲、上部に鎖が付…