週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

三ノ宮・上栗原遺跡 伊勢原市三ノ宮

保国寺の門前から聖峰登山口に向かう途中に三ノ宮・上栗原遺跡がある。行ってみたら、横穴墓群だった。

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三ノ宮・上栗原遺跡 所在地 伊勢原市三ノ宮字上栗原

この付近は丹沢山地東端の丘陵部にあたり、蛇行する栗原川が深い谷を造り、そこに注ぐ無数の流れが複雑な地形を形成しています。上栗原遺跡は谷に面した南向きの斜面に位置し、標高は約120mを測ります。

本遺跡は、平成5年に市道50号線の改良工事に先立って発掘調査されました。その結果、崖面から15基の横穴墓が発見され、そのうち工事によって影響を受ける1〜12号の12基を調査しました。

横穴墓は6世紀の後半頃に神奈川県内に伝播し、7世紀いっぱいまで造られます。崖や段丘の斜面に横穴を掘り、内部には石を敷き、入口に石を積んでふさいでいます。入口の石を取り除けば何度でも出入りできるため、一基に複数回の埋葬がなされることが一般的です。石室を有する古墳と並んで、古墳時代後期に盛んに造られました。伊勢原市内にも150年程の間に数百基の横穴墓が造られたと考えられています。

上栗原遺跡の横穴墓は関東ローム層を掘り込んでいるため、長い年月の間に天井が崩れ、4号と12号を除いて内部が埋まった状態で発見されました。横穴墓の構造で興味深いのは4号、5号が小さくて古い横穴墓を造り替えて構築され、さらにその入口斜面に横穴式石室のような石積みを有してい た点です。この石積み施設は、上栗原遺跡の東側約600mに位置する下尾崎遺跡でも発見されており、横穴墓と横穴式石室をもつ古墳が混在して分布する伊勢原市域の特徴といえま す。

副葬品としては、鉄鏃(矢じり)、小刀、素焼きの皿、窯で焼いた壺や甕のほか、大刀の付属金具や金色に輝く耳飾り等の珍しい遺物も出土してい ます。そして最も特筆すべきものが5号横穴墓出土の鉄製馬具です。写真は馬に乗る際に足をかける壺鎧(つぼあぶみ)で、出土例は国内でも20に満たない貴重なものです。それに伴い鉄製の轡と帯金具も出土しています。下尾崎遺跡でも鉄製の輪鐙が出土しており、古墳時代後期の馬具については、この三ノ宮地区が県内一の集中をみせています。

平成21年3月 伊勢原市教育委員会

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