週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

大神塚(応神塚)古墳発掘調査現場見学会 (3/25) 寒川町岡田

昨年に引き続き、今年も神奈川県寒川町の大神塚(応神塚)古墳の発掘調査現場見学会に参加した。実際は、「小雨なら開催」のところ、小雨とは言えない雨で中止だった。中止を知らずに訪れたところ、見学させていただいた。ありがとうございます。昨年は後円部の西側にトレンチが設けられたが、今年は、東側の後円部とくびれ部の境の部分にトレンチが設けられた。

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大神塚(おおじんづか)

全長約50メートル、後円部径約30メートル、同高さ約5メートルの帆立貝形を呈する大きな前方後円墳である。

明治41年4月、寒川神社宮司菟田茂丸氏の提唱で坪井正五郎博士により発掘調査が行われた。出土した和鏡二面、漢鏡一面、直刀三振や、 陪塚から出土した金銀環、勾玉、管玉等は寒川神社方徳資料館に展示されている。

古墳の築造は五世紀と推定される。

寒川町教育委員会

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大(応)神塚周辺小型古墳発掘記念碑

この記念碑は1908年(明治41年)に大(応)神塚 周辺の小型古墳の発掘調査を記念して建てられたものです。

この調査は、大(応)神塚の発掘調査と同時に行なわれたもので、東京帝国大学教授坪井正五郎氏が調査を担当しました。小型古墳は5基の円墳があったと考えられており、そのうち3基が調査されました。1基からは埋葬施設である石室が検出され、内部より数体分の人骨と副葬品として耳環、勾玉、管玉、切子玉等の装身具と直刀、鏃(やじり)等の鉄製品が出土しました。

この記念碑はその古墳の付近にありましたが、区画整理にともない、平成19年2月にこの場所に移設されました。

平成19年2月寒川町

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大(応)神塚古墳発掘調査現場見学会/寒川町ホームページ

大神塚/寒川町ホームページ

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