5月20日の厚木市及川伊勢宮遺跡の見学会の前に付近の古墳を巡った。最初に訪れたのが、及川団地の山ノ上1号墳と2号墳。
山ノ上1号墳
山ノ上1号墳
この古墳群は山ノ上遺跡にあり、神奈川県営及川住宅団地建設に伴い、昭和47年(1972)に神奈川県教育委員会が試掘調査を行い、確認された2基の古墳のうち、1号墳は保存されることとなり、2号 墳は青山学院大学が発掘調査を行った結果、その重要性に鑑み保存されることとなったのである。
山ノ上遺跡は中津川と荻野川に挟まれた荻野台地の南端に位置している。標高は約40mである。
この1号墳は、以前から三川尻古墳と呼ばれ、その存在が知られていたため、発掘当初から保存されることとなっており、古墳の主体部を中心とする全体の発掘調査は行われていない。
墳丘はかなり削られたとみられ、現状の規模は9x5m、高さ約2.5mで、不整形な円形を示している。
また、墳丘の周辺の調査によって、この古墳の周溝とみられる円形の溝が一部確認されており(第6号円形周溝遺構: 遺跡全体図中の6周)、このことから推定で内径約35m、周溝上幅4.4〜6.2m、深さ0.5mの規模と考えられる。
この周溝からは、多くの土器や鉄・石製品が出土している。 土器は土師器の壺・高坏(たかつき)・坏・坩(かん)が71点、須恵器の𤭯(はそう)が1点、鉄製品は 鎌2点、鉇(やりがんな)1点・刀子(とうす)1点・鉄鏃3点・釧(くしろ)4点・鉄剣1点、 石製品は砥石(といし)1点・紡錘車1点である。
古墳の造られた時期は出土した土器などから5世紀後半頃と推定されているが、方墳である2号墳よりは新しいものとみられる。主体部(しゅたいぶ) 遺体を埋葬する施設
墳丘(ふんきゅう) 古墳に盛り上げた盛土や積石
周溝(しゅうこう) 古墳の周りに掘られた溝
土師器(はじき) 弥生時代の系統をひく古墳時代から平安時代までの赤褐色の素焼きの土器
須恵器(すえき) 古墳時代から平安時代までみられる朝鮮半島から伝わった青灰色の焼物
𤭯(はそう) 胴部に小さな穴をあけた壺の形をした須恵器
鉇(やりがんな) 木材の表面を平らに仕上げる工具
刀子(とうす) ナイフ・小刀のこと
釧(くしろ) 手首あるいは腕に着けるリング状の装身具
紡錘車(ぼうすいしゃ) 繊維に撚りをかけて糸にして巻き取る時に軸の回転に惰性を与えるはずみ車
文献
[1] 相原精次・藤城憲児 2000「神奈川の古墳散歩」彩流社