昨年に引き続き今年も蟹ヶ谷古墳群の発掘調査の現地説明会に参加した。2013年に始まった蟹ヶ谷古墳群の調査は、開始から10年を迎え、今回の第8次調査で、一旦、終了とのこと。この10年の調査で分かったことを、専修大学の高久教授に総括していただいた。川崎市で唯一現存する前方後円墳とされた1号墳は、中世と近・現代の2回にわたって大きく壊変を受け、古墳築造時の状況を復元することが難しく、前方後円墳との確認はできなかった。ただし、下総形の円筒埴輪が検出されたことから、下総と交流を持つ在地の豪族が埋葬された6世紀後半の古墳であるとのこと。2号墳も主体部(埋葬施設)は検出されず大きく削平された可能性が高い。古墳の可能性があった4号墳は、盛土の痕跡は検出されず、横穴墓との関連等の検討を要する。今回の調査の副産物的成果として、1号墳の溝は井田城の遺構の可能性があること、また、横穴墓が多く残ることが分かったこと、1号墳の前方部からは1945年4月15日の川崎大空襲で投下された焼夷弾1本が検出されたことが挙げられた。質問の部で、多摩川の両岸で左岸には立派な前方後円墳があるのに、右岸の古墳が貧弱なのは支配する豪族の違いか、との質問に、左岸では立派な古墳があるがムラ(住居跡)が見つかっていない、右岸の低地(微高地)の宮内遺跡では住居跡が見つかっていて、低地にムラがあった可能性もある。多摩川の流路は大きく蛇行して流れを変えるので、今の行政区分とは一致しないとの回答だった。ここでは、川崎市には、古墳時代前期の全長87mの前方後円墳で三角縁神獣鏡が出土した白山古墳があったことを紹介してほしかった。また、後期では馬絹古墳のように立派な横穴式石室をもつ古墳があることも紹介してほしかった。それはさておき、10年間の調査、お疲れ様でした。報告書、期待しています。
3号墳(円墳、径18m)
1号墳(墳形不明、規模不明、埴輪、中世の溝5m幅)
2号墳(円墳、径18m、周溝から6世紀後半の土師器、古墳下に弥生時代住居跡)
4号墳(墳頂から須恵器大甕、盛土の痕跡は検出されず)
神庭緑地
4号墳を下から
八太神社、祭神:天太玉命(あめのふとだまのみこと)
川崎市教育委員会:蟹ヶ谷古墳群第8次調査の見学会を開催しました!
蟹ヶ谷古墳群 現地見学会 開催
— ぶじん(挂甲の武人) (@kufunmeguri9) 2023年2月28日
・日時 令和5年3月4日(土)荒天中止・小雨決行 11:30~受付開始
第1回説明 12:00~12:40
第2回説明 13:00~13:40
第3回説明 14:00~14:40
川崎市の蟹ヶ谷古墳群の現地説明会の情報はWebにはまだ公開されてませんね。ソースはメルマガです。今回で発掘調査はひと段落だそうです。こっちか?https://t.co/i9YhnoXeim
— ぶじん(挂甲の武人) (@kufunmeguri9) 2023年2月28日
今日、川崎市の蟹ヶ谷古墳群の現地説明会。①橘樹官衙遺跡群、②子母口富士見台古墳、③子母口貝塚、④伊藤家長屋門 pic.twitter.com/9rjye6BfKA
— ぶじん(挂甲の武人) (@kufunmeguri9) 2023年3月4日
#川崎市 #中原区 #高津区 井田山の尾根すじ、中原養護学校隣りの神庭緑地にある #蟹ヶ谷古墳群 現地見学会開催中。14時から最終回あります。10年にわたる調査も終盤、最終の説明会だそうです。おもしろいです。出土した土器のようす見られます。ご興味ある近隣のかたぜひに! pic.twitter.com/2JbyYDQlrA
— MarthaMyDear (@rejoice_rejoice) 2023年3月4日
蟹ヶ谷古墳が造られた後、中世に山城(井田城)が築造されたか?また近現代に耕作地として造成された形跡など様々な事がわかってきているそうです。また多摩川対岸の大型古墳群について質問あり、あれほどの築造物を成した人々の住居跡はどこに?(東京側で未確認だそうです)という話にも及びました。 pic.twitter.com/DEBpyKxEgI
— MarthaMyDear (@rejoice_rejoice) 2023年3月4日
最近のマイブームは、古墳の講習である。初めて古墳の現地見学会に参加した。川崎市の元住吉、日吉駅からの、蟹ヶ谷古墳群、つまり井田城跡である。 pic.twitter.com/qmvBT8KzPA
— ゆかいラッキー (@yukailucky) 2023年3月4日
「蟹ヶ谷古墳群現地見学会」川崎市教育委員会。
— 古代人? (@Kikiki93886931) 2023年3月4日
10年目の最終調査。
ぶじんさんのツイートで知り参加。
1号墳は前方後円墳確定ならず。
井田城の土塁として大きく改変されているらしい。
2号墳は今回のメイン。
6世紀後半の土師器坏が周溝から浮いて出土。
1号墳の下総型円筒埴輪。
平安時代の土器。 pic.twitter.com/gfCce9e2m9
4号墳。
— 古代人? (@Kikiki93886931) 2023年3月4日
1段下った場所にある。
須恵器が散布していたが古墳ではない?
祭祀場の可能性。
丘陵斜面に多くの横穴墓が確認されているのでその関連も考えられるとの話。
横に竪穴建物も発見。
妄想です。
横穴墓の後背墳丘の性格を引継ぐ祭祀遺跡?
竪穴建物は殯関連施設?
焼失建物。
証拠はないです。 pic.twitter.com/wZBLSoPxFR
神奈川県川崎市高津区の #下総型埴輪 。
— TORU Suzuki (@TORUSuzuki10) 2023年3月4日
これまで、実態が判りませんでしたが、ようやく拝見できました😍
高めの底部(第 1段目)や一稜突帯(縦断面三角形)、透かし孔が切り抜きのままナデていないようであるところから、
下総型でも古い属性を有しているでしょうか🧐→#はにツイ https://t.co/jfRj0X5S6M
同じく川崎市高津区の桃之園古墳の下総型埴輪も古い段階のもののように思いますので、
— TORU Suzuki (@TORUSuzuki10) 2023年3月4日
遠隔地の事例は、下総型成立後 間もなく(あるいは成立と ほぼ同時に)供給されている……というのは、妄想に過ぎるでしょうか😅? pic.twitter.com/UFz0A9Jjlv
川崎市・馬絹古墳。
— 古代人? (@Kikiki93886931) 2023年3月5日
7世紀中葉の終末期古墳。
整美な切石積横穴式石室を持つ。
今は亡き川崎市市民ミュージアムに精巧なレプリカがあった。
ウン十年ぶりに訪問。
前庭部があったかも知れない古墳の前面が削平されマンションに!
広い斜面を歩いたのは幻だったのかな。
この古墳は終末期古墳の最後の pic.twitter.com/YnLwCvFMfs
の謎古墳。
— 古代人? (@Kikiki93886931) 2023年3月5日
池上先生の論文。
南武蔵の終末期古墳は北武蔵の八幡山古墳の影響下で胴張り形石室を採用。
七世紀中葉になると上野の蛇穴山古墳の影響で方形の石室に変わるという。
この時期に大型古墳は馬絹古墳しかないのだが。
影向寺や橘評の造営に直接、関与した豪族の墳墓になるのだろう。 pic.twitter.com/FjuAJMQagR
77年前の4月15日、川崎大空襲の日。
— 平和教育登戸研究所資料館 (@meiji_noborito) 2022年4月15日
約200機のB29による大規模な爆撃により、市中心部と工場が集中した地域が焼け野原となりました。
現在、川崎市平和館では「戦時下の市民生活と川崎大空襲」展を開催中。
当館からは第10回企画展の「少女が残した登戸研究所の記録」展示パネル等が特別展示中です。 pic.twitter.com/Akz88BmSW5
2021年に「素人の妄想」と題するブログ記事を書いた。今回の説明によると蟹ヶ谷4号墳では古墳の墳丘は確認されず、古墳であることを示す証拠は見つからなかった、直下の横穴墓群との関係で、祭祀を行った場かもしれないとのこと。