武蔵国最大の勝呂廃寺は、入間郡の北端に位置し、すぐ東には東山道が北上し、北には比企郡との郡境がある。文献[1]では「群馬県山王廃寺、千葉県龍角寺のように、大型古墳に後続するように造営された地域と異なり、小古墳群しかない地域に東日本最古の寺院がこの地に作られた理由を想定するならば、屯倉が存在された地に先進技術や文化が導入された可能性が考えられる」「導入を行った人物は、633年に武蔵国造となった物部連(直)兄麻呂の可能性も想定できる」とする。埼玉県選定重要遺跡。
物部連兄麻呂といえば行田市の八幡山古墳の被葬者との説もある。
文献
[1] 酒井清治 2014「埼玉県寺谷廃寺から勝呂廃寺への変遷」駒沢史学82号
勝呂廃寺。埼玉県内最古の7世紀後半の寺趾。瓦片が今でも結構転がってました。 pic.twitter.com/iEZk2TtCJi
— shigesoul (@BackInMusashi) 2022年8月14日