週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

芥川龍之介旧居跡 北区田端

北区田端の芥川龍之介旧居跡を訪れた。芥川龍之介東京帝国大学学生であった1914年(大正3年)から亡くなる1927年(昭和2年)まで、この地に住んでいた。この時期に、小説「羅生門」などを執筆した。田端は、明治中頃までは閑静な農村だったが、上野に東京美術学校が開校すると若い芸術家が暮らすようになり、この地に窯を築いた板谷波山らを中心に芸術家が移り住み芸術家村となった。大正3年芥川龍之介、5年の室生犀星の転居をきっかけに、大正期から昭和初期にかけて小説家や詩人などが集まるようになった。1993年(平成5年)に田端文士村記念館が開館、田端で活躍した文士・芸術家の功績や歴史を紹介する。北区は2018年に芥川龍之介旧居跡の土地の一部を購入して、(仮称)芥川龍之介記念館検討委員会を設置。委員会は2020年3月に(仮称)芥川龍之介記念館基本的な考え方及び整備構想をまとめた。その時は、2022年度内の開館を推進スケジュールとしていた。その後、新型コロナ感染症の影響もあり、計画は遅延しているようだ。今年2月の北区の令和4年度予算の概要によると、実施を見合わせた事業として、(仮称)芥川龍之介記念館建設の繰延べを挙げ、再開に向けた整理として、田端文士村記念館の空調機改修及び収蔵庫等改修工事を優先実施とする。建設予定地は更地のままの状態。なお、建設予定地は、田端不動坂遺跡の第30地点として2019年12月から翌年2月まで発掘調査が実施され、住居跡4(奈良時代2、平安時代2)が検出された(文献[1])。昨年10月に田端文士村記念館で開催された田端ひととき講座によると、旧居跡地から2つの防空壕跡が発見され、そこから渋沢栄一らが設立した「耕牧舎」の牛乳瓶や芥川の主治医・下島勲が開業した「樂天堂醫院」の薬瓶などの近代遺物が出土とのこと。また、田端文士村記念館では9月19日まで芥川龍之介 生誕130周年展を開催中。

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童橋
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東台橋
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田端文士村記念館
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日本煉瓦製造の縦書き「日本」の刻印の煉瓦が3個並んでる。
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(仮称)芥川龍之介記念館|東京都北区

(仮称)芥川龍之介記念館整備構想を答申|東京都北区

<事前案内>田端ひととき講座「芥川龍之介 旧居跡に刻まれた記憶~出土品から辿る渋沢栄一との繋がり~」開催|東京都北区

【10月17日】「芥川龍之介 旧居跡地に刻まれた記憶 ~出土品から辿る渋沢栄一との繋がり~」開催|東京都北区

【3月9日】協働企画展示「芥川龍之介と太宰治」開催中!|東京都北区

田端不動坂遺跡第17地点第8号土坑出土遺物|東京都北区

田端不動坂遺跡発掘現場

東京都北区田端不動坂遺跡の鏡埋納遺構

歴史|ライオンズヒルズ田端不動坂|大京穴吹不動産(公式)

芥川龍之介の生誕地「耕牧舎」の謎に迫る by Hanes | 中央区観光協会特派員ブログ

文献

[1] 株式会社東京航業研究所 2021 『東京都北区 田端不動坂遺跡』東京都北区他

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