週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

天台塚古墳 厚木市鳶尾

厚木市及川伊勢宮遺跡の見学会でご一緒したお仲間と古墳巡り。
最初に訪れたのは、鳶尾中央公園の天台塚古墳。天台塚古墳は、文献[2]では「天台塚古墳(鳶尾古墳) (728) てんだいづかこふん(とびおこふん) [群] <O-13> (荻野 三田地区3号墳) [所] 厚木市鳶尾2 [立] 丘陵頂 [形]円墳 [周] 有り [規]径約33.0m [埋] 不明 [副]不明[伴] 不明 [埴] 不明 [時] 不明 [文]神奈川県教育委員会 1975, 厚木市教育委員会1976, 厚木市市史編さん室 1993, 厚木市文化財協会1998 [備] 周辺より玉髄・水晶製小玉各1採集. 埋葬施設未調査公園内に保存.」

鳶尾(とびお)遺跡
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鳶尾遺跡

鳶尾(とびお)団地は、市内において最も早く大規模な開発が行われた団地である。鳶尾遺跡は日本住宅公団(現独立行政法人都市再生機構)による鳶尾団地の造成事業に伴い発見された遺跡で、昭和45年から47年にかけて発掘調査が行われた。

遺跡は、中津川と荻野川に挟まれた荻野台地にあり、鳶尾山の南麓に広がっている。標高152m〜68mの間にある。遺跡の時代は、旧石器時代縄文時代古墳時代古墳1基を含む・奈良・平安時代である。このうち、遺跡の中心は奈良・平安時代の大規模集落である。

鳶尾遺跡で発見された古墳時代後期の竪穴住居址は6軒であるが、奈良・平安時代の竪穴住居址は163軒・掘立柱建物址は116棟であ る。このような多くの住居址からは多種多量の遺物が出土している。まず、灰釉(かいゆう)陶器・緑釉(りょくゆう)陶器といった生産地からもたらされたとみられる土器が合計100個体ほど出土している。また、土器に文字や記号などを黒墨で書いた墨書(ぼくしょ)土器や箆(へら)で書いた刻書(こくしょ)土器が多数発見されている。それらは「生」「酒」「大」「七」「上」「万」「一」「〆」「×」など様々である。鉄製品には刀子(とうす)・釘(くぎ)・鏃(やじり)・鎌(かま)・斧(おの)・鋤(すき)・鉄鎚(てっつい)・鉇(やりがんな)・鎹(かすがい)・錠前(じょうまえ)・紡錘車(ぼうすいしゃ)などがある。さらに、 皇朝(こうちょう)十二銭の一つである「富寿神宝(ふじゅしんぽう)」(弘仁9年<818>初鋳)や役人が使用したとみられる青銅製帯金具(おびかなぐ)が発見されている。

古墳は、鳶尾古墳として鳶尾中央公園内に現状保存されており、これは江戸時代の地誌である『新編相模風土記稿』に記載されている天台塚(てんだいづか)とみられる。

鳶尾遺跡は、出土した遺物から9世紀から10世紀に営まれた大規模集落であることが分かっており、累積人口1,000人という見方もあり、律令(りつりょう)制国家を支える拠点的集落ではないかとも考えられている。

灰釉陶器  奈良・平安時代に生産された植物の灰を釉薬(ゆうやく)として使用した陶器

綠釉陶器  銅が酸化焔(さんかえん)で焼かれて緑色になる釉(うわぐすり)が施された陶器

紡錘車   繊維に撚(よ)りをかけて糸にして巻き取る時に軸の回転に惰性を与えるはずみ車

鉇     木材の表面を平らに仕上げる工具

皇朝十二銭 和銅開珎をはじめとする奈良時代3種、平安時代9種の銭貨

带金具   布製や革製の帯に付けた飾り金具

平成18年3月 厚木市教育委員会

天台塚古墳
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鳶尾遺跡と古墳

この付近は、土地区画整理事業に伴って、昭和四十五年から四十七年の間、断続的に調査が行われました。縄文時代古墳時代、奈良から平安時代のさまざまな性格の遺跡が重なり合っており、特に、ここに存在していた奈良から平安時代のムラは、県下でも最大級のものであったことがわかりました。

現在、この公園には古墳が保存されています。古墳時代の集落を見下ろせる位置にあります。確認調査の結果、直径約三十三メートルの円墳で、墳丘の周囲には、周溝がめぐっていました。

発掘調査が行われていないため、この古墳の造られた年代や葬られた人物などについてはわかっていません。

平成九年三月 厚木市教育委員会

文献

[1] 厚木市市史編さん室 1998『厚木市史』古代資料編(2)

[2] 稲村繁 2020「神奈川県の古墳(X)- 神奈川県古墳地名表(8)-」『横須賀市博物館研究報告(人文科学)』64号, 横須賀市人文・自然博物館

[3] 相原精次・藤城憲児 2000「神奈川の古墳散歩」彩流社

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