週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

田名向原遺跡 相模原市中央区田名塩田

田名向原遺跡公園で、後期旧石器時代の約2万年前の住居跡と考えられる遺構(レプリカ)を見学した。

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日本で唯一、2万年前の住居状遺構
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住居状遺構(復元)

平成9年3月に発見された約20,000年前の後期旧石器時代の住居跡と考えられる遺構(痕跡)を復元したものです。

礫群(小石が集中している場所)や石核(石器の素材をはがし取った石)などによって直径約10メートルの外周をめぐらした範囲から、2ヶ所の炉(火をたいた場所)や12本の柱穴の跡が確認されました。

加えて約3,000点もの石器類が発見されたことから、人類定住の可能性を示す遺構として注目され、平成11年1月28日に国の史跡として指定されました。

文部科学省の史跡境界の石柱
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遺跡の地層と黒曜石の産地推定
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遺跡の地層と黒曜石の産地推定

住居状遺構から出土した石器の石材、黒曜石を蛍光X線分析により産地推定をした結果、神津島エリアを除く中部・関東地方すべての産地エリアの黒曜石が確認されました。

最も多く検出されたのは長野県の蓼科(たてしな)エリアのもので、次いで天城、箱根、和田、諏訪、高原山(たかはらやま)エリアのものが続きます。

遺跡が立地する段丘の地層(複製)
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遺跡が立地する段丘の地層(複製)

この展示パネル下半分の段丘礫層(砂と礫の層)は、約2万年前にこの場所に相模川が流れていたことを語る地層です。

中ほどに見える火山泥流層(黒い砂層)は、富士山から川沿いに怒涛のように流れ出た堆積物です。

旧石器時代の住居状遺構が発見された暗黄褐色のローム層には、河原からの砂と火山灰が混じっており、当時河原が浅く近かったことを示しています。

上層の黄褐色のローム層は、18,000年前以降に富士山から火山灰が降ってできた層(関東ローム層の上部)です。

これらの地層と遺構の関係から、相模川が河床を掘り下げ始め、火山泥流の堆積後、石器を使う人々が来て、住居状の遺構を残したことがわかります。

縄文時代の竪穴住居(復元)
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竪穴住居(復元)

平成8年〜10年にかけて、遺跡公園の東側の道路建設の調査で発掘された約5,000年前の縄文時代中期の竪穴住居を復元したものです。

直径約3.0メートルの円形の竪穴住居の中央には、石で囲われた炉(火をたいた場所)と、炉跡を囲むように5本の柱穴が発見されました。

勝坂遺跡をはじめ、市内各地で確認される縄文時代中期の住居跡としては、比較的小型の竪穴住居跡です。

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文献

[1] 戸田哲也・麻生順司 2011「田名向原遺跡の住居状遺構とその性格」『第17回考古学講座ーかながわの旧石器時代のムラと住まいを探るー記録集』神奈川県考古学会

[2] 木村弘樹 2014「2万年前のイエ 史跡田名向原遺跡の保存・活用」『第21回考古学講座ー時空の交差点(遺跡の保存と活用)』神奈川県考古学会

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