週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

下野谷遺跡 西東京市東伏見

鈴木遺跡の現地説明会の前に西東京市の下野谷遺跡公園に寄り道。

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国史下野谷遺跡(したのやいせき)

躍動の舞台 下野谷遺跡の昔と今

下野谷遺跡とは

武蔵野台地のほぼ中央、石神井川の南岸の高台にある、3万年近く前の旧石器時代から近代に至る長い歴史が刻まれた遺跡です。

下野谷遺跡の発見

戦前から土器が見つかっていましたが、正式な発掘調査は1973年から行われました。その後の調査・研究の結果、今から5,000年から4,000年前の縄文時代中期には、石神井川流域の拠点となるような大集落が1,000年間にもわたり、存在していたことがわかりました。

下野谷遺跡の範囲と2つの集落 「双環状集落」

下野谷遺跡は、石神井川を北に望む高台と低地に立地し、縄文時代中期には、台地のほぼ中央にある浅い谷を挟んで、東西に2つの集落がありました。東西の集落はいずれも規模が大きく、縄文時代の典型的な集落(環状集落)の構造をしています。こういった複数の集落が隣接する集落は「双環状集落」と呼ばれ、地域の拠点と考えられています。

下野谷遺跡の東西集落

東西集落は、いずれも歴史的価値の高い集落遺跡です。しかし、東集落は近年の開発に伴う発掘調査が多く行われ遺跡の一部が失われています。西集落は東集落の豊富な資料を基に、今後も保存と研究が両立できる貴重な遺跡です。

国史跡 下野谷遺跡

縄文時代中期の集落遺跡の規模としては、南関東最大で、特に西集落は、都市部において約25,000㎡の集落全域が保存されている非常に貴重な遺跡として、平成27年3月10日に国史跡に指定されました。

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