鈴木遺跡保存管理等用地(旧農林中央金庫研修所跡地)確認調査の現地説明会に参加した。鈴木遺跡は日本における後期旧石器時代の代表的な遺跡の一つで、2021年3月26日に国史跡に指定され、2023年3月に国史跡鈴木遺跡保存活用計画が策定された。鈴木遺跡保存管理等用地は、貴重な鈴木遺跡の保存・保護と活用を前提に、2014年3月に、農林中央金庫から旧研修所の北側部分(研修棟、テニスコート、プール跡地)が寄付された。
鈴木遺跡は、武蔵野台地のほぼ中央を東西に流れる石神井川の最上流部に位置する後期旧石器時代遺跡(約38,000年前〜16,000年前)で、石神井川のかつての谷頭部、標高約75メートルに立地する。遺跡は旧石神井川の水源とその支流を取り巻くように馬蹄形に展開、谷奥部を中心に多数の石器集中部が存在、遺跡の範囲は東西約580メートル、南北約620メートルに及び、関東最大級の後期旧石器時代の集落遺跡である。これまでの発掘調査で、40,000点を超える石器(ナイフ形石器や角錐状石器、槍先形尖頭器等)と70,000点を超える礫が出土、遺構や遺物は立川ローム層中に連綿と塁重する12枚の文化層で確認された。後期旧石器時代後半期の第1〜8文化層では、石器の石材として黒曜石の保有比率が高く、その黒曜石の産地は、蛍光X線分析から長野県小深沢、男女倉、星ヶ塔、麦草峠、静岡県柏峠、神奈川県畑宿、東京都神津島、栃木県高原山など広範囲。このように鈴木遺跡は、日本列島に現生人類が出現して以来、後期旧石器時代全般を通じて拠点的集落として機能したことがわかる希有な遺跡である。
今回の確認調査は、史跡整備事業として整備場必要な情報収集として用地内の地層を把握するための確認発掘調査で用地内の10箇所に調査区(トレンチ1〜10)を設定した。もう少し平易な言葉で言えば、12枚の文化層の一番上のI層(表土・耕作土)とその下のⅡ層(漸移層)の下のⅢ層(ソフトローム層)の上面を確認するのが目的で、後期旧石器の遺物、遺構が包含されるローム層内部は調査対象としていない。よって、今回の発掘調査では、旧石器時代の遺物、遺構は検出されていない。トレンチの内部を覗き込んでも、Ⅲ層より上部の地層の断面が確認できるだけだった。史跡指定されたので、ローム層内部は調査できないとの説明だった。史跡指定された貝塚でも古墳で史跡整備目的で限定された発掘調査は実施しているので、その理屈はと思ったが、固いローム層の内部の後期旧石器時代の遺物、遺構は掘らないのが最も確実な保存方法なのであろう。それでも解せないのは、遺物も遺構も出土していない調査でありながら、私的目的の撮影はOKだが、出版やSNS投稿はNGとのこと。
小平市立鈴木小学校のグランドの先に鈴木遺跡保存管理等用地
鈴木遺跡(すずずきいせき)
石神井川の水源部の谷頭(こくとう)部を取り巻くように分布する遺跡で、都内有数の規模をもっています。昭和49年(1974)、鈴木小学校の建設に伴って江戸時代の水車の水路跡などが見つかったことがきっかけで確認されました。
この遺跡からは、今からおよそ3万数千年前から1万5千年前の後期旧石器時代の遺物が数多く、また何層にもわたって発見され、わが国の後期旧石器時代を代表する遺跡となりました。中でも刃の部分を磨いて尖らせる局部磨製(きょくぶませい)や打製(だせい)の斧形石器は、この遺跡を代表する遺物のひとつです。
鈴木遺跡資料館
鈴木遺跡鈴木町1丁目390番地保存地区
- 鈴木遺跡|東京都小平市公式ホームページ
- 鈴木遺跡の「発見」|東京都小平市公式ホームページ
- 鈴木遺跡の国史跡指定|東京都小平市公式ホームページ
- 国史跡鈴木遺跡保存活用計画の公開|東京都小平市公式ホームページ
- 鈴木遺跡保存管理等用地の活用に向けて|東京都小平市公式ホームページ
- 小平市鈴木遺跡資料館|東京都小平市公式ホームページ
- 鈴木遺跡 - 日本旧石器学会
国史跡鈴木遺跡保存活用計画より
小平市八小遺跡
小平市八小遺跡
昭和44年(1969)1月、当時八小の職員だった鱒渕清之(ますぶちきよゆき)さんが発見した 竪穴住居址です。同年3月、当時東京都武蔵野郷土館の考古学担当主事だった吉田格(いたる)さんの指導のもと、東京学芸大学の考古学研究部によって発掘調査が行われ、土師器(素焼きの土器)の甑(こしき、穀物を蒸すための底のない器)や坏(つき、皿形の土器)、甕(かめ)や砥石の破片などが発見されました。
これらの遺物から、遺跡は奈良時代に属する建物の跡と思われ、昭和49年(1974)に発見された鈴木遺跡とともに郷土の歴史を知る貴重な資料です。
住居址は上屋(うわや)が復元されていましたが、老朽化したため平成17年(2005)に埋め戻され、約40cm盛られた覆土(ふくど)の上に石列で住居址の位置が表示されています。
2017年7月に府中市郷土の森博物館で開催された企画展「東京最古の旧石器」を鑑賞した。都内最古の遺跡の一つとして、2015年から2016年に東京都立埋蔵文化財調査センターが実施した発掘調査で、立川ロームの第X層から約3万5,000年前の石器が多量に出土した府中市の北端にある武蔵台遺跡に関する企画展だった。この企画展で「立川ロームX層」を知り、興味を持った。武蔵台遺跡は鈴木遺跡の南西約4.5kmに位置する。
清流の復活 - 玉川上水 -
玉川上水は江戸時代の承応2年(1653)年、人口が急増した江戸の飲料水確保のために作られた水路です。
この上水は、江戸市中への飲料水の供給という目的以外に、武蔵野台地の各地に分水されて飲料水・かんが い用水・水車の動力などに利用され、武蔵野の発展に大きな役割を果たしました。水路は明治時代以降も淀橋浄水場(新宿区)への導水路として使われていましたが、新宿副都心計画による淀橋浄水場の廃止により、昭和40(1965)年以降、小平監視所より下流は水の流れが途絶えました。
その後、多摩川上流水再生センターで高度処理された再生水を利用した東京都の「清流復活事業」によって、昭和61(1986)年8月から、玉川上水の小平監視所より下流側に再び清流がよみがえりました。
東京都環境局自然環境部水環境課
玉川上水は、高い歴史的価値を持ち自然豊かな憩いの空間であることから、東京における自然の保護と回復に関する条例に基づき「玉川上水歷史環境保全地域」に指定されています(羽村取水口から四ツ谷大木戸までの区間のうち開渠区間)。玉川上水歷史環境保全地域では、貴重な植物を採る、他の地域の生物を放す・植物を植えるなどの行為はしないよう、水と緑の豊かな環境を大切にしましょう。
行幸松(ぎょうこうまつ)