週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

南下古墳群石室公開デー (11/22) 吉岡町南下

11月22日に開催された南下古墳群石室公開デーに参加した。南下古墳群で横穴式石室が開口する5基(A,B,C,D,E号墳)のうち、公開されたのはA号墳、B号墳、E号墳の3基。

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吉岡町文化財センター
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南下古墳群(みなみしもこふんぐん)

南下古墳群は、吉岡町の南下から大久保の溝祭地区にかけて分布する古墳の総称です。一般的には、吉岡中学校南方の大林山と呼ばれる丘陵上に集中する、A〜E号の古墳に代表されています。

かつて吉岡町には400基を超える古墳があり、その内100基ほどが南下地域に存在していました。この大林山にも40基ほどの古墳が集中していましたが、現在残るのはA〜E号の5基を含めても僅か9基ほどです。これらは、古墳時代後期の6世紀後半から7世紀にかけての約100年間に集中して築かれたもので、全て横穴式石室を主体部としています。

本古墳群中のA〜E号の古墳は、全て開口しているので石室内部をつぶさに観察することができます。石室は、自然石だけで構築したものや一部に切石を混えたもの、或いは切石を組合わせたものなど様々で、その発展過程や構造の違い等を見ることができる大変貴重なものです。

吉岡町教育委員会

石室公開が始まる前に、古墳を見てまわった。

南下C号墳、 文献[1]の吉岡町67[現状:○、墳形:円、直径20.0m、袖無型横穴式石室、総覧:明治村43]
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群馬県指定史跡 令和5年9月8日指定

南下C号古墳

丘陵頂部に築かれた径約15m、東面からの高さ約4mの円墳と推定される。葺石や周掘の有無は明らかでない。古墳周辺から円筒埴輪の破片が採集されているため、埴輪が設置されていると推定される。

石室は自然石乱石積の袖無式横穴式石室で、全長約6.15m、奥壁幅約1.55m、同高さ約1.35mの規模を有する。開口部は東向きで、珍しい例である。古い開口のため副葬品については全く不明である。

古墳の年代は、本古墳群では古い時期のもので、六世紀の後半の築造と推定される。

今和6年6月作成 吉岡町教育委員会

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南下D号墳、文献[1]の吉岡町68[現状:○、墳形:円、直径13m、両袖型横穴式石室、総覧:明治村40]
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群馬県指定史跡 令和5年9月8日指定

南下D号古墳

い。 丘陵南斜面に築かれた古墳だが、墳頂部が著しく削平されているため形状は明らかでない。古墳 の規模は、現状で径約13m、南からの高さは約3mである。墳丘に葺石や植輪は確認されていない。

石室は山石と川原石を混用した自然石乱石積両袖式の横穴式石室で、南西方向に開口する。石室 は、全長約6m、玄室奧幅約1.5m、同高さ約1.7mの規模を有する。羨道と玄室の境には二及至三段に積んだ玄門が存在する。羨道入口付近には、石室を閉じた際の閉塞石が残っている。

古墳の築造年代は、七世紀前半頃と推定される。

今和6年6月作成 吉岡町教育委員会

南下F号墳、文献[1]の吉岡町70[現状:○、墳形:円、直径20m、横穴式石室]
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群馬県指定史跡 令和5年9月8日指定

南下F号古墳

墳丘は、丘陵先端近くの南斜面に構築された円墳と推定されるが、南側が道路拡幅工事で削られやや歪んでいる。墳丘に葺石や植輪の設置があったかは明らかでない。墳丘は、現状で径約21m、南からの高さは約4mの規模を有 している。古墳南の道路拡幅工事の際、巨石を除去したとの話が伝わっているので、横穴式石室が設置されていたと考えられる。

古墳の築造年代や副葬品など詳細は明らかでない。

今和6年6月作成 吉岡町教育委員会

宮代古墳、文献[1]の吉岡町70[現状:ー、墳形:不明、規模:ー、横穴式石室]
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文献

  1. 群馬県教育委員会 2018「群馬県古墳総覧2017(第2版)」

 

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