週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

展示解説「ここまで分かった!戸田市の埋蔵文化財最新情報展」 戸田市立郷土博物館

戸田市立郷土博物館で開催中の「ここまで分かった!戸田市埋蔵文化財最新情報展」の展示解説に参加した。本展示会は先週に続いて2週連続で鑑賞。

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今回の展示会ではここ数年の発掘調査で見つかった遺物や、倉庫に保管されていて普段は公開していない遺物を展示している。市内には11ヶ所の遺跡がある。縄文時代以前の遺跡は見つかっていないが、縄文土器の破片は何点か見つかっている。川に流されてきた土器片を含む土が後世の溝に堆積したと考えられる。縄文時代には荒川低地に利根川、荒川、入間川が流れ洪水被害多かったが、約3000年前に利根川、荒川が中川低地を流れるようになり、洪水の心配が減り、弥生時代後期後半(2世紀後半)から人が住み始めたと考えられる。この時期は、魏志倭人伝倭国大乱にあたり、上戸田本村遺跡2, 3次調査で検出した溝は環濠集落の環濠の可能性がある。前谷遺跡9次調査で検出した方形周溝墓の溝から出土した高杯(弥生土器)の足部の三角形の透かし穴は、長野の箱清水式土器の特徴でこの地域との交流を示す。東海地方の特徴を持つ壺も見つかっている。戸田市古墳時代前期が最も栄えた。南原遺跡8次調査では、縦穴住居が100軒以上見つかっている。鍛冶谷・新田口10次調査の周溝状遺構(古墳時代前期の方形周溝墓)からは大量の土器が見つかり、上層・中層・下層と供献・埋戻しを複数回行ったと考えられる。上戸田本村遺跡3次調査の古墳時代中期の溝状遺構からは大量の壺・甕・椀・高杯など(破片を含めて441点)が出土した。高杯が多いので祭祀との関係が考えられる。戸田市では南原遺跡から8基、上戸田本村遺跡から1基(くまん塚)の古墳(全て円墳、5世紀末から6世紀末)が見つかっている。南原8号墳からは鶏形埴輪が出土している。鶏形埴輪は県北(埼玉古墳群など)との関係が考えられる。上戸田本村遺跡4次調査で出土した馬形埴輪(6世紀末)は目の位置が横に付いているが、南原遺跡から出土した馬形埴輪は5世紀後半と埼玉県でも一番古く、目の位置が上に付いてる。馬を知らない工人が作ったと思われる。上戸田本村遺跡の古墳以降平安時代までの遺跡は市内で見つかっていない。解説終了後に、くまん塚について教えていただいた。墳丘はすでに失われている。馬形埴輪が見つかった溝状遺構(周溝)の東側は未調査なので、調査する機会が有れば馬形埴輪の未発見部分が見つかるかもしれない。解説していただいた内容は、展示されているパネルをよく読めば書いてあるが、読み流してしまいがちで、解説していただくと理解が深まり、ありがたい。貴重な機会なので、今後も参加したい。

戸田市の難読地名「曲尺手高架橋」
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