週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

真福寺貝塚出土のみみずく土偶

11月28日に今年度の真福寺貝塚の発掘調査現地説明会が行われた。現説に先立ち、「みみずく土偶の頭部を発見」とのニュースが舞い込んだ。真福寺貝塚では1926年ごろの発掘調査で発見されたと伝わる「みみずく土偶」が重要文化財に指定され東京国立博物館に収蔵されている。10月下旬に発見された土偶の頭部は、破損していて顔から胸の部分のみだが「出土場所・状況が明確で保存状態も良く、学術上の価値も高い」という。「全身見つかれば令和の大発見」とのタイトルで報じられたが、今回の調査では全身は見つからなかったようだ。発見された土偶の頭部は幅10.5cm、長さ13cmで、重文の土偶より、ひとまわり大きい。表と裏に赤い顔料のあとがある。出土したのは3,100年前から3,000年前の地層で、顔の表現などから重文の土偶よりも新しいと見られる。さいたま市立中央図書館のレファレンス事例によると真福寺貝塚の報告書類では1926年(大正15年)の大山史前研究会による調査から記述が始まり、それ以前とされる「みみずく土偶」発掘時の調査については言及がないが、「埼玉県柏崎村真福寺貝塚調査報告」(『史前学小報』第2号に収録 史前学会 1928 埼玉県立熊谷図書館所蔵)に、「中澤澄男氏が且つて此地に於て採集された土偶(第十八圖)は、右足を缺損するも他は全く完全な所謂木兎土偶である。」と記され、中澤澄男氏自身がこのみみずく土偶の発見と、その後右足部分を合体させたいきさつについて記した文章として、「趣味の採集」(『趣味の考古学』に収録 雄山閣 1937 国立国会図書館デジタル化資料)があるとのこと。東京国立博物館では今年7月7日から12月20日まで本館の「日本美術のあけぼの―縄文・弥生・古墳」で重文のみみずく土偶を展示している。展示作品リストで確認すると「所蔵者・寄贈者・列品番号」の欄は「J-39223」で、寄贈者の記載はない。Wikipediaには「土偶は長らく個人所蔵であったが、2003年に東京国立博物館が購入し、館蔵品となった」とある。

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重文の土偶の発見者とされる中澤澄男氏について調べてみると、東京国立博物館に収蔵されている伝茨城県行方市 大日塚古墳出土の猿の埴輪の所有者だったという。この猿の埴輪は東京人類学会雑誌第244号(明治39年)の柴田常恵氏の報告に、同年6月ごろの発見で会員の中澤澄男氏所有と記されている。東京人類学会は坪井正五郎が立ち上げた。

ちなみに国立博物館所蔵品統合検索システム ColBase で「中澤澄男」と検索すると124件もヒットする。全てを見ていないが寄贈者として登録されているようだ。また、国会図書館サーチで検索すると、多数の著作・論文がヒットする。

東京国立博物館 - 展示 日本美術(本館) 日本美術のあけぼの―縄文・弥生・古墳 作品リスト

ColBase 国立博物館所蔵品統合検索システム Top > みみずく土偶

E0062200 みみずく土偶 - 東京国立博物館 画像検索

みみずく土偶 文化遺産オンライン

e国宝 - 土偶

さいたま市岩槻区の真福寺貝塚で出土し、現在国立博物館で所蔵している重要文化財「みみずく土偶」について... | レファレンス協同データベース

趣味の考古学 (雄山閣): 1937|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

病児・家族支援研究室 Lana-Peace(ラナ・ピース) アート・歴史から考える死生観とグリーフケア 埴輪 猿(東京国立博物館蔵)

東京人類学会雑誌第244号(明治39年)

簡易検索結果|「中澤澄男」に一致する資料: 164件中1から15件目|国立国会図書館サーチ

中沢, 澄男, -1945 - Web NDL Authorities - 国立国会図書館

 

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