東京都で唯一の区営遊園地の「あらかわ遊園」を取り囲むように煉瓦塀が残る。1872年(明治5年)、現在あらかわ遊園がある場所の西部に石神仲衛門が煉瓦工場を設立。1895年(明治28年)、広岡勘兵衛(広岡幾次郎)に経営権が譲渡された(明治33年、36年との説もある)。1921年(大正10年)、漏電により工場が消失。翌年、工場跡地を含む2万坪余りを行楽地として整備して、荒川遊園を開業。このとき、敷地を取り囲むように煉瓦塀が建てられたといわれているが明確な建造年は不明。開業時の荒川遊園の経営主体を王子電気軌道とする説や広岡氏の死後、王子電気軌道が経営とする説があるが定かでない。広岡煉瓦が後に王子煉瓦になったする説もあるが定かでない。1942年(昭和17年)に陸軍の高射砲陣地となり荒川遊園は事実上閉鎖。1950年(昭和25年)に荒川区の区立遊園地として再開。この時、区立遊園地の敷地が煉瓦塀の内側に定められたため、煉瓦塀の内側に民家が建てられた。あらかわ遊園は、現在リニューアル工事のため休園中。観覧車やメリーゴーランドなどの大型遊具はすでに撤去されていた。
あらかわ遊園の東隣にあった小台橋小学校(2003年に閉校、区立小台橋保育園として活用)の校舎も取り壊されていた。今まで校舎に隠れていた煉瓦塀があらわに。この区間の約42mが荒川区の有形文化財(建造物)に指定された。門柱のあたりに見学スポットが整備される予定。
煉瓦の刻印。小菅集治監の桜花章(複弁桜花章b種)?
中央の帯石をはさんで上下で異なる積み方。上が長手積み。下がイギリス積み。
神谷家旧煉瓦造小屋塀(文献[1]参照)
「野崎留吉」三連の刻印
文献[1]によると1920年(大正9年)に「広岡幾次郎」から「広岡勘兵衛」に改名したと裏書きされた王子煉瓦株式会社の株券がある。
2004年春に撮影した写真
だいぶ景観が変わっている
建設中の木造3階建の小台橋保育園(2019年9月)
緊急事態宣言中に観覧車は組み上がっていた。(2020年5月)
荒川ふるさと文化館だより 第18号 「尾久の煉瓦塀をめぐって -煉瓦工場とあらかわ遊園-」
荒川ふるさと文化館だより 第41号 「区の有形文化財(建造物)に登録された荒川遊園煉瓦塀」
荒川ふるさと文化館だより 第44号 「荒川遊園煉瓦塀整備事業 - 新たな見学スポットの誕生 -」
荒川ゆうネットアーカイブ > 特集 > 荒川区再発見 都市観光編3「西尾久」 > 煉瓦塀
野口孝俊、他 2015「明治期に建設された東京湾砲台群における煉瓦の調達に関する一考察 -第二海堡跡煉瓦構造物調査-」土木学会論文集D2(土木史), Vol. 71, No. 1, 1-10
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