普賢寺裏古墳の南に所在する不動山古墳。前方後円墳。全長94m。後円部の墳頂に上州綿貫不動尊が鎮座する。埋蔵施設は縦穴系(舟型石棺)。
北から。左が後円部、右が前方部。
南から。左が前方部、右が後円部。前方部はかなり削平されている。
南東から、不動尊の参道。
後円部墳頂の不動尊の後ろに縄掛け突起付き舟型石棺がある。凝灰岩製で全長3.45m。内法は長さ2.4m。
綿貫古墳群の4基の前方後円墳は普賢寺裏古墳(77m)→不動山古墳(94m)→岩鼻二子山古墳(115m)→綿貫観音山古墳(97m)の順で築造されたと考えられる。岩鼻二子山古墳は不動山古墳の南の高崎量子応用研究所の敷地内にあったが、第二次世界大戦敗戦前まで同地にあった陸軍岩鼻火薬製造所の敷地拡大に伴い大正時代に消滅した。全長115m。綿貫古墳群中で最大規模。後円部から2基の石棺が出土し、1基が東京国立博物館に収蔵されている(現在はバックヤードで保管中)。
陸軍岩鼻火薬製造所については下記のブログが詳しい。東京砲兵工廠は四本木稲荷古墳(北区滝野川)の来歴を調べていた時に知った。群馬で100m超えの古墳を破壊していたとは。