週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

四本木稲荷古墳 北区滝野川

北区滝野川3丁目にある四本木稲荷(しほんぎいなり)神社は、かつて、北区十条台1丁目にあった四本木稲荷神社の分祀である。1904年に日露戦争が勃発。翌1905年に東京砲兵工廠銃包製造所が小石川から十条台(当時の七軒町)に移転して拡張された。このとき、七軒町(しちけんちょう)の20数軒の集落の住人は立ち退きを余儀なくされた。集落の守り神だった四本木稲荷は、砲兵工廠の守り神となり、十条台1丁目の旧稲荷公園(現在は北区中央公園プレーパーク)に移転した。滝野川の四本木稲荷は、東京第一陸軍造兵廠の滝野川分工場の鎮守として分祀された。戦後、東京第一陸軍造兵廠は廃止され、十条工場は、1947年に米国陸軍に接収された。おそらくこの時、十条台の四本木稲荷の社殿は、滝野川の四本木稲荷に移築され本殿となった。元々の滝野川の四本木稲荷の社殿は、同神社の境内摂社として祀られている。

ここまで、四本木稲荷の来歴を述べたが、なぜか、四本木稲荷は古墳と縁が深い。七軒町に東京砲兵工廠銃包製造所が移転するときに、そこにあった塚(古墳)が破壊され、その後に、火薬の爆発などの事故が何度か起こり、死傷者が出て、塚の祟りと恐れられ、四本木稲荷が祀られたと伝わる。滝野川の四本木稲荷は、古墳の上に建てられているといわれていて、「東京都遺跡地図」には北区の遺跡番号24番の四本木稲荷(よもとぎいなり)古墳として登録されている。

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本殿。左は拝殿。
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本殿の裏側を隣の四本木児童遊園から。
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赤羽台と滝野川の間には石神井川が流れている。
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