横浜市の環状1号線の浅間下交差点から三ツ沢に向かう新横浜通りの東側の丘陵の南端に軽井沢古墳跡はある。1967年に自動車学校用地造成のため消滅。1965年に発掘調査が行われた。7世紀前半の築造された横浜市域では最末期の前方後円墳。丘陵上、標高50m。周濠前方後円形。総長30.5m。墳丘長26.5m。三段築成。埴輪なし、葺石なし、木製品を樹立したと思われるピット列あり。
新横浜通りは1955年に神奈川県で開催された国体のメイン会場を三ツ沢公園に建設するため拡張された。
南東から。
石段を登る。
石碑「前方後圓墳之碑」。当時の横浜市長、のちの社会党委員長の飛鳥田さんの揮毫。
古墳の跡地は自動車教習所になっている。