週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

雷電塚古墳群 (再訪) 坂戸市小沼

坂戸市文化会館“ふれあ”で「大古墳展Ⅱ−坂戸台地の古墳文化−」を鑑賞した後で、三芳野地域北部の雷電塚古墳群を再訪。

雷電塚1号墳
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雷電塚古墳(雷電塚一号墳) 埼玉県指定史跡

鍵穴のような形をした、前方後円墳です。古墳時代後期(六世紀中ごろ)に造られたと考えられています。ほかに、いくつもの古墳が近くにあります。古墳の周りを囲む堀の跡からは、埴輪や須恵器の破片がみつかりました。

後円部の墳頂(高さ3.8m)に、「雷電社」があるので雷電塚と名がつきました。

坂戸市内で七基の前方後円墳が確認されていますが、そのうちの一基が雷電塚古墳です。後円部の墳頂に雷電社が祀られているので、雷電塚と呼ばれたそうです。本格的な発掘調査を行っていないので、主体部(人を埋葬した場所)など詳しいことは分かっていません。古墳の全長は47m、後円部の直径は25.5m、高さは3.8mです。西側の前方部と後円部の一部が削られていますが、前方後円

墳の形状がよく残っています。

平成二年一月に埼玉県教育委員会により、東側のくびれ部(前方部と後円部の境部分)と前方部南側の周溝の調査が行われました。くびれ部では周溝の幅が9.8m、前方部では5.5mでした。周溝は墳丘に沿うように、鍵穴の形のようになっていたと思われます。

 周溝の中からは、円筒埴輪の破片をはじめ、朝顔形埴輪、須恵器などが出土しました。これらの遺物から、古墳を築造した年代は六世紀中ごろと考えられます。また、雷電塚古墳の周辺を調査した結果、これまでに十基の円墳の周溝が発見されました。今は墳丘が削られてしまいましたが、雷電塚古墳の周りには多くの円墳が造られていたと考えられます。

平成23年11月23日 坂戸市教育委員会

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坂戸市遺跡地図に加筆
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埴輪片?
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雷電塚2号墳
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雷電塚14号墳跡?
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坂戸市の「大古墳展Ⅱ」のパネルと雷電塚14号墳出土の埴輪

平成24年(2012年)度に雷電塚14号墳の周溝の一部を調査した。帆立貝型古墳の可能性がある。
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文献

[1]  株式会社シン技術コンサル 2020 『新町遺跡3区・4区・5区』埼玉県坂戸市教育委員会

文献[1]より

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