週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

全国古墳編年集成 石野博信編

ヤクオクで競り落とした書籍を紹介するシリーズの2回目。1995年発行、石野博信編の「全国古墳編年集成」を紹介する。

本書のあとがきによれば、1985年に『季刊考古学』第10号で「古墳の編年」を総括し、当時は刊行後2〜3年のうちに補訂して一書にまとめようという計画だったが、あっという間に10年たってしまったとのこと。『季刊考古学』第10号では旧28カ国の主要な古墳の編年表を作成し、編年の根拠を適格に示すことを心がけ、本書でも基本方針はそのまま踏襲し、旧58ヵ国を51名の執筆者によって網羅し、各執筆者の作成した編年表をもとにして「全国古墳編年表」を作成したという。
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まず、古墳編年について、以下のような説明がある。古墳編年の方法には相対編年と絶対編年がある。相対編年は、古墳のさまざまな要素をとり出して、各要素ごとに編年した上で古墳の相対的な年代を考察する。古墳には、立地、墳形、墳丘外表施設(葺石、埴輪)、埋葬施設、副葬品など様々な要素がある。かつては「応神・仁徳陵」が暦年代の基準とされたが、文献に記された応神・仁徳天皇の年代を基準とすることは難しい。暦年代を推定できるのは、埼玉稲荷山古墳の471年、今城塚古墳を継体陵として531年、見瀬丸山古墳を欽明陵として571年、天武・持統陵の686年など。他、熊本県江田船山古墳の鉄刀銘文、福岡県岩戸山古墳(磐井の墓?)、群馬県山の上古墳など。これらもいくつかの問題点をかかえる。

その後に、旧58ヵ国毎に執筆者による解説と編年表が続く。「前方後円墳集成」では、畿内前方後円墳の時代を10期に分ける畿内編年(共通編年)を基準として各地域の古墳の編年を示すが、本書では、1世紀単位の絶対年表で示す。本書の「武蔵」の編年表と「埼玉県古式古墳調査報告書」の4期に分ける「埼玉における前期古墳の形成」の概観を比較すると絶対年はさておき一致する。本書の「武蔵」の担当は埼玉県立さきたま資料館の横川好富館長(当時)。また、さきたま史跡の博物館に展示されているパネル「埼玉県内の古墳編年」と比較すると面白い。こちらも1世紀単位の絶対年表だが、半世紀の補助線と1から10までの添字があり「前方後円墳集成」の共通編年に対応していると思われる。全体的に四半世紀程度前倒しされて、3世紀後半から4世紀前半に出現期の前方後方墳(もしくは前方後方形墳丘墓)が追加されている。

文献

[1] 埼玉県県史編さん室 1986『埼玉県古式古墳調査報告書』埼玉県県史編さん室

[2] 近藤義郎 1994『前方後円墳集成 東北・関東編』山川出版社

[3] 小坂延仁 2009 「埼玉県における前期古墳の諸段階と大型古墳の出現」『第14回東北・関東前方後円墳研究会大会 《シンポジウム》前期古墳の諸段階と大型古墳の出現』(発表要旨資料) 東北・関東前方後円墳研究会

[4] 利根川章彦 2012「『埼玉の古墳出現』断章」埼玉県立さきたま史跡の博物館紀要 第6号

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