週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

大賀ハス 府中市郷土の森公園

先日、府中市郷土の森博物館に行きました。郷土の公園の修景池(ハス池)で大賀ハスが咲いていました。池のほとりには大賀一郎博士の像がありました。そこで、大賀ハスについて調べてみました。

修景池の大賀ハス。ハスの花は早朝に咲き始め、昼頃には蕾の状態に戻るので、午前8時ごろが見頃。撮影したのは午後3時ごろだったので咲いているハスは少なかった。
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大賀一郎博士の像。
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1951年に千葉県千葉市の落合遺跡から出土したハスの実を、大賀一郎博士が府中市の自宅で発芽育、翌年(1952年)7月にピンクの花を咲かせた。このニュースは米国ライフ誌が報じ国内外で話題となった。このハスが大賀ハス命名された。

落合遺跡は東京大学検見川厚生農場(現在は東京大学検見川総合運動場)内にある遺跡で、花見川下流の湿地帯にあたり、戦時中から戦後にかけて石炭不足を補うために草炭が採掘されていた。そこから1947年に丸木舟1隻と櫂6本が掘り出され発掘調査が行われた。1949年の調査で丸木舟2隻とハスの果托(かたく)が出土した。戦前に満州で古ハスの実の研究をしていた大賀一郎博士は1951年3月に地元の小・中学生や一般市民などのボランティアの協力を得て発掘調査を行なった。この調査はなかなか成果が得られなかったが1ヶ月間の調査の終了間際に3粒のハスの実を得ることができた。ハスの実は、丸木舟の破片の放射性炭素年代測定の結果から2000年以上前とされている。発見の経緯は下記のサイトが詳しい。

千葉市:大賀ハス何でも情報館

大賀博士は大賀ハスについて学術論文を発表していない。大賀ハスを否定する論文が学会に提出され、博士の没後に論争が巻き起こった。下記のサイトによると弟子の阪本祐二博士が大賀ハスを擁護して戦ったとある。

御坊ゆかりの先人たち 阪本 祐二/御坊市ホームページ

ハスの果托。
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下記のレポートに落合遺跡から出土した丸木舟3隻の写真がある。

縄文丸木舟覚え書き - 房総の諸事例から 東洋大学学術情報レポジトリ

大賀ハスの実の発見の経緯は、その後に日本考古学会を震撼させた前期旧石器の件と類似点がある(ハスの実の発見を目的に発掘調査が行われた、調査は成果がなかなか出なかった、調査終了間際に実が見つかった、ボランティアが調査に参加した、考古学的な検証がされていない)。DNA解析すれば大賀ハスの系統(出自)がはっきりすると思い調べたら、下記にレンコンとハスのDNA解析のレポートを見つけた。この解析でははっきりしなかったようだ。

http://www.nsc.nagoya-cu.ac.jp/biodiv/seminar/ハスとスイレン報告書2015.pdf

ちなみに、行田の古代ハス大賀ハスとは別系統。また、5世紀ごろから咲いていたとされる大阪府の天然記念物「枚岡の原始ハス」という品種もある。大賀ハス千葉市の「市の花」。

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