週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

蟹ヶ谷古墳群 現地見学会(3/5) 川崎市高津区蟹ヶ谷

3月5日に、3年ぶりに開催された蟹ヶ谷古墳群 現地見学会に参加した。今回の驚きは、川崎市内に現存する唯一の前方後円墳を発見として発表(文献[5])した蟹ヶ谷1号墳が、前方後円墳ではないかもしれないということ。まだ調査中なので断定されたわけではない。代わりに、1号墳の前方部と鞍部で検出された溝は、古墳築造後に掘られたもので、中世の井田城の遺構の可能性も含めて調査が必要になるとのこと。なお、古墳群のある神庭緑地が耕作地としてかなり削平されていて、現在の地表面が古墳時代の地表面より低いことがわかり、古墳群が築造された当時を復元することが困難になっているそうだ。また、2号墳の調査区(トレンチ)からは弥生時代の住居跡が4軒くらい重なって検出された。近くの神奈川県立中原養護学校では、校舎建設時に縄文時代から古墳時代までの集落(185軒を超える住居跡)が検出された(神庭遺跡)。これまでは、神庭緑地では住居跡は検出されておらず、集落は神庭緑地まで広がっていないと考えられていたが、2号墳の調査結果から覆り、神庭緑地まで広がっていたが、後世の耕作で削平され検出されていなかったという可能性がある。古墳の下から古い遺跡が見つかるのは、そこだけが特別な場所という意味ではなく、そこ以外にも古い遺跡はあったが削平され、古墳の下は古墳に守られて保存されていたということもありえる。また、前回、前々回調査した仮称5号墳は縄文時代の遺物包含層しか検出されず、古墳ではなかったようだ。加えて、4号墳の下の擁壁が整備された辺りで、蟹ヶ谷横穴墓群の複数基の新たな横穴墓が見つかっている(文献[2][6])。

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関東ローム層」と記された白い線の範囲が約2万年前の地層。この上に縄文時代から古墳が築造された時期までに積もった黒色土の地層があり、その上が古墳築造時の地表面となる。古墳であればその上に盛り土が築かれる。さらに、古墳築造時から現在までに積もった黒色土の地層の上が現在の地表面となるはずだが、墳丘とされていた部分の表土が古墳築造時の地表面より低い。溝の覆い土からは、埴輪片が検出される。左の後円部とされていた高まりは古墳でそこの盛り土を削平して溝を埋めたと考えられる。
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2号墳。韓国伝来の階段発掘法を採用して、土の盛り方を詳細に調査。この方法では3方向の断面を掘り進めながら観察できる。
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3号墳
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4号墳
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蟹ヶ谷横穴墓群
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文献[2]より

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川崎市教育委員会:シッシー君の文化財探訪日記 2013年3月

川崎市教育委員会:蟹ヶ谷古墳群の現地見学会(2016/3/5)

川崎市教育委員会:蟹ヶ谷古墳群の現地見学会(2019/3/2)

川崎市教育委員会:神庭遺跡

文献

[1] 新井悟・土生田純之・浜田晋介・高久健二・山本孝文 2014「高津区蟹ヶ谷古墳群測量調査報告」『川崎市市民ミュージアム紀要』第26集 川崎市市民ミュージアム

[2] 川崎市教育委員会 2016「たちばな遺跡マップ2015 古代川崎発見」

[3] 土生田純之 2016 「川崎市蟹ヶ谷古墳群の発掘調査」『専修大学人文科学年報』第46号 専修大学人文科学研究所

[4] 蟹ヶ谷古墳群発掘調査団 2017 「蟹ヶ谷古墳群」『川崎市市民ミュージアム考古学叢書』8 川崎市市民ミュージアム

[5] 新井悟・土生田純之・浜田晋介・高久健二・山本孝文 2017「川崎市 蟹ヶ谷古墳群 -川崎市域における現存する唯一の前方後円墳の“発見”-」『第41回神奈川県遺跡調査・研究発表会発表要旨』神奈川県考古学会

[6] 高久健二 2017 「川崎市蟹ヶ谷古墳群の発掘調査と神庭遺跡」『専修大学人文科学年報』第47号 専修大学人文科学研究所

今回、オヤコフンさんに初めてお会いできました。

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