週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

精忠神社と畳塚 壬生町本丸

壬生城本丸跡のお隣の精忠神社を参詣。

精忠神社
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畳塚
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畳塚 (たたみづか)

鳥居元忠は慶長五年(1600)の関ヶ原の戦に先立ち、徳川家康の命により伏見城を守りました。石田三成方の大軍を引き受けよく戦いましたが、約1ヶ月の攻防戦の末、伏見城にて自刃しました。

この元忠の忠義を賞賛した家康は、自刃の血に染まった畳を江戸城の伏見櫓の階上に置き、登城する諸大名に彼の忠義をしのばせたと言われています。

その後、明治にいたり江戸城が明け渡されたため、ゆかりの深い現在の地に納められ、『畳塚』と称えその上に記念碑が建立されました。

元忠の命日(旧暦の8月1日)には、勇壮武者行列が昭和初期まで行われていました。

平成15年3月1日

壬生町教育委員会

 

干瓢伝来三百年記念
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平成23年8月4日(木)『かんぴょう伝来300年記念前年祭』開催! | 壬生町公式WEBサイト

かんぴょうの歴史 – 栃木県干瓢商業協同組合

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