壬生城本丸跡のお隣の精忠神社を参詣。
精忠神社
畳塚
畳塚 (たたみづか)
鳥居元忠は慶長五年(1600)の関ヶ原の戦に先立ち、徳川家康の命により伏見城を守りました。石田三成方の大軍を引き受けよく戦いましたが、約1ヶ月の攻防戦の末、伏見城にて自刃しました。
この元忠の忠義を賞賛した家康は、自刃の血に染まった畳を江戸城の伏見櫓の階上に置き、登城する諸大名に彼の忠義をしのばせたと言われています。
その後、明治にいたり江戸城が明け渡されたため、ゆかりの深い現在の地に納められ、『畳塚』と称えその上に記念碑が建立されました。
元忠の命日(旧暦の8月1日)には、勇壮武者行列が昭和初期まで行われていました。
平成15年3月1日
鳥居元忠が伏見城の戦いで自害した際の「血染めの畳」は、江戸時代「忠義の手本」を他の武将に示すため、江戸城の伏見櫓に置かれました。
— 壬生町立歴史民俗資料館 (@miburekimin) 2023年11月5日
明治時代になると、畳は壬生藩鳥居家に払い下げられ、現在は元忠を神として祀る「精忠神社」の「畳塚」に埋められています。#どうする家康 #鳥居元忠 pic.twitter.com/jLYIQ3okYP
干瓢伝来三百年記念