週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

丸山塚古墳 甲府市下曽根町

甲斐風土記の丘・曽根丘陵公園で丸山塚古墳と銚子塚古墳を満喫。

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銚子塚古墳附丸山塚古墳 国指定史跡 昭和五年二月二十八日指定

丸山塚古墳

丸山塚古墳は五世紀初めに造られた、山梨県では最も大きな円墳です。明治40年に墳頂で石室が見つかり、鏡・武器・装身具などの副葬品が発見されました。石室は竪穴式石室でほぼ南北に向いており、割石を持送りに積み重ねて造られました。また、石室の壁には朱彩の円文が見つかっています。墳丘は二段築成で、埴輪が立てられていました。 銚子塚古墳より少し後に造られ、これに続く権力者の墓と考えられています。

規模 墳丘の直径72メートル、高さ11メートル、墳頂径9メートル、 竪穴式石室の長さ5.55メートル、幅1.05メートル、高さ0.85メートル

副葬品 四神四獣鏡・鉄斧・鉄鎌・鉄剣・鉄銛(もり)・石釧(腕輪) など (東京大学に収蔵)

出土品 埴輪・鉇(やりがんな) (山梨県立考古博物館に収蔵)

平成19年3月31日 文化庁 山梨県教育委員会

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竪穴式石室(丸山塚古墳)

この石室は、埋葬された豪族の遺体を納めた部屋で、木製の棺の周囲に、板状、柱状の石を積み上げて造られていると思われる。

明治40年、開墾によって蓋石が開かれ、鏡1、鉄斧2、鎌1、石釧1などが発見されたが、棺と遺体は残っていない。石室は、長さ5.5メートル、幅は平均0.95メートル、高さ0.85メートルの規模で、床には赤色顔料が塗られている。

昭和59年の調査で石室両側中央に3〜4センチの赤色円文が約30ほど発見された。

出土品は東京大学所蔵。

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「郷民擁護碑」と丸山之碑
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岩清水遺跡


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岩清水遺跡

岩清水遺跡は平成6年(1994)に発掘調査が行われ、弥生時代後期(約1,700年前)の住居跡13軒と円形周溝墓1基、古墳時代中期(約1,600年前)の円形周溝墓2基が発見されました。

発見された3基の周溝墓のうち、東側の1号墓は直径約26m、すぐ隣の2号墓は直径約30mです。古墳時代の周溝墓を巡る溝からは、土師器や須恵器が出土しました。遺物の年代から、この円形周溝墓群が東山南遺跡の円形周溝墓群に続く5世紀中頃から後半に築造されたものと考えられます。

遺跡のすぐ北側には、ほぼ同時期に築造されたかんかん塚(茶塚)古墳が立地しています。この円形周溝墓群の主は、かんかん塚(茶塚)古墳に葬られた人物に近い人であったのかもしれません。

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かんかん塚(茶塚)古墳
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さかづき塚
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かんかん塚(茶塚)古墳とさかづき塚

かんかん塚(茶塚)古墳

この古墳は、直径26mほどの円墳です。石室は、長さ約7mの東西方向の竪穴式石室で、人の頭ほ どの石を積み上げ、15個の細長い石で天井を覆う構造になっていました。

この古墳の年代は5世紀後半で、石室内からは甲冑や県内最古の馬具が発見されています。近くの銚子塚古墳や丸山塚古墳に比べ、規模が小さくなるのは、甲府盆地内の各地に古墳文化が広まり、この地域の勢力が相対的に弱まっていったことを物語ると考えられています。

さかづき塚

この塚は、直径約13mの大きさで、盛り土の内部に、こぶし大の石を1m四方に敷きつめた施設があり、16世紀ごろの鉄鏃などが出土したことから、中世の信仰にかかわる塚とみられます。

山梨県/埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0388かんかん塚古墳

かんかん塚(茶塚)古墳出土馬具 文化遺産オンライン

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文献

[1] 山梨県教育委員会 1979 『風土記の丘埋蔵文化財調査報告1:甲斐茶塚古墳山梨県教育委員会

[2] 石神孝子 1998 「甲斐における古墳時代中期の墓制について 曽根丘陵の円形低墳墓」『山梨県埋蔵文化財センター・山梨県立考古博物館研究紀要:研究紀要14』山梨県立考古博物館他 

[3] 山梨県埋蔵文化財センター 2000 『山梨県埋蔵文化財センター調査報告書182:岩清水遺跡山梨県教育委員会

[4] 山梨県立考古博物館 2022「甲斐勇者 -その原像を探る-」

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