雨の土曜日に横浜市歴史博物館と國學院大学博物館をハシゴした。横浜市歴史博物館では企画展「明治・大正 ハマの街」を見学した。横浜市の新市庁舎建設地の洲干島(しゅうかんじま)遺跡から出土したガラス瓶や洋食器、レンガや西洋瓦、土管や便器などの品や当時の浮世絵や古地図などを展示。洲干島遺跡からは耐火(白)煉瓦、化粧煉瓦、赤煉瓦の3種類の煉瓦が出土。出土した赤煉瓦からは、金子煉瓦製造所(横浜市鶴見区矢向付近)、横浜煉瓦製造会社(川崎市幸区戸手付近)、御幸煉瓦製造所(横浜煉瓦製造会社の後継)、小菅集治監(東京都葛飾区)、日本煉瓦製造株式会社(埼玉県深谷市)の刻印が確認された。
2019年8月から改修工事のため休館していた横浜市歴史博物館は、4月1日からリフレッシュオープンで企画展「明治・大正 ハマの町」を開催の予定だったが、新型コロナ感染症の影響で休館継続。緊急事態宣言の解除を受け、6月2日に会期を変更して再開した。
明治・大正ハマの街 ―新市庁舎建設地・洲干島遺跡― | 横浜市歴史博物館
本日より再オープンの予定でしたが、4月13日まで休館し、企画展「明治・大正ハマの街」も開幕延期となりました。そこで、今回の展示品の中から担当学芸員のおすすめをこれからご紹介していきます!開館いたしましたらぜひ実物を見にお越しください。#横浜歴博 #洲干島展 #ただ今休館中 #レックル pic.twitter.com/mtDnkjFnS0
— 横浜市歴史博物館 (@yokorekihaku) 2020年4月1日
企画展「明治・大正ハマの街」は、横浜市の新市庁舎建設地である洲干島(しゅうかんじま)遺跡の発掘調査によって見つかった幕末から大正時代にかけての資料を数多く展示しています。洲干島遺跡や、写真のような資料についてつぶやいていきます。ご期待ください。#横浜歴博 #洲干島展 #ただ今休館中 pic.twitter.com/xPJMr50zl9
— 横浜市歴史博物館 (@yokorekihaku) 2020年4月3日
洲干島遺跡はJR京浜東北・根岸線桜木町駅の東300m、みなとみらい線馬車道駅に隣接し大岡川右岸の河口部にあたる北仲通南地区に所在します(黄色の囲み部分)。
— 横浜市歴史博物館 (@yokorekihaku) 2020年4月4日
平成27年9月から平成28年3月の間、およそ8700㎡の範囲で発掘調査が実施されました。 #横浜歴博 #洲干島展 #ただ今休館中 pic.twitter.com/caV6rzpzZV
発掘調査は人の力を中心に行われます。多くの人が少しずつ土を掘り、見つかった資料の情報を記録し、取り上げます。
— 横浜市歴史博物館 (@yokorekihaku) 2020年4月5日
写真は洲干島遺跡の発掘調査の様子です。この調査によって、特に関東大震災以前の明治・大正時代の横浜の街並みの一端が明らかとなりました。#横浜歴博 #洲干島展 #ただ今休館中 pic.twitter.com/Y0FGtV4bli
写真は当館所蔵、元禄3(1690)年の「東海道分間絵図」のうち東海道神奈川宿を描いた部分です。左下に飛び出した砂浜部分をアップにすると「しうかん嶋」の文字が描かれています。
— 横浜市歴史博物館 (@yokorekihaku) 2020年4月9日
江戸時代のはじめ頃にはすでに洲干島の名前が使われていました。#横浜歴博 #洲干島展 #ただ今休館中 pic.twitter.com/1djdpwdeAl
当館所蔵、五雲亭貞秀画「増補再刻 御開港横浜之全図」は、慶応2(1866)年頃の横浜の様子をあらわした絵図です。
— 横浜市歴史博物館 (@yokorekihaku) 2020年6月26日
この絵図をよく見ると、洲干島は洲干弁天社を残してほぼ埋め立てられ、弁天社の海側の地区も樹木が伐採され建物が建っていることがわかります。#横浜歴博 #洲干島展 pic.twitter.com/SIWnectIw9
当館所蔵、尾崎冨五郎筆、「横浜真景一覧図絵」は、明治24(1891)年の絵地図です。
— 横浜市歴史博物館 (@yokorekihaku) 2020年4月14日
洲干弁天社の場所もすっかり埋め立てられて開発が進み、「灯台局」や「商業学校」の字が確認できます。
また、「本町通り」や「弁天橋」の様子もはっきりと描かれています。#横浜歴博 #洲干島展 #ただ今休館中 pic.twitter.com/UOCn49JJae
これまで紹介した絵図や地図は、企画展示の第Ⅰ章「洲干島ってどう読むの?」にて展示しています。
— 横浜市歴史博物館 (@yokorekihaku) 2020年4月15日
Ⅰ章では当館所蔵以外の資料も展示し、発掘資料の中心年代である明治30年代後半以降より前の洲干島や横浜の街並みについて解説しています。#横浜歴博 #洲干島展 #ただ今休館中 pic.twitter.com/GpysGHv9ol
横浜都市発展記念館が刊行した図録、『近代横浜を掘る』と合わせて読んでいただくと洲干島遺跡についてより理解が深まります。
— 横浜市歴史博物館 (@yokorekihaku) 2020年4月17日
横浜都市発展記念館でも図録の通信販売を行っていますので、ご興味ある方は以下のアドレスをご覧ください。https://t.co/VESfEPxaQC#横浜歴博 #洲干島展 #ただ今休館中 pic.twitter.com/F4KjMzNAvm
洲干島展、第Ⅱ章は「明治・大正ハマの街」と題して、写真の分布図で示した遺構ごとに(一部を除く)、特徴的な資料を、膨大な数量の中から厳選して展示しました。
— 横浜市歴史博物館 (@yokorekihaku) 2020年4月21日
遺構・遺物の解説は次のtweetから始める予定です。ご期待ください。#横浜歴博 #洲干島展 #ただ今休館中 pic.twitter.com/clgIrSLEy4
洲干島遺跡の発掘調査によって現在の大岡川護岸の内側から、幕末期の石積み護岸とみられる遺構が出土しました。
— 横浜市歴史博物館 (@yokorekihaku) 2020年4月23日
文久2(1862)年、五雲亭貞秀の『横浜開港見聞誌』にはオランダ領事館の用地に築かれた石積み護岸が描かれており遺構はこの頃のものと考えられます。#横浜歴博 #洲干島展 #ただ今休館中 pic.twitter.com/5vkE18Mlya
明治2(1869)年に洲干弁天社が移転した後、この地には灯明台役所が設置されました。その後は改称を繰り返し、明治24(1891)年に航路標識管理所となりました。
— 横浜市歴史博物館 (@yokorekihaku) 2020年4月29日
平面図の彩色部分が航路標識管理所関係の遺構です。煉瓦造倉庫の基礎などが見つかりました。#横浜歴博 #洲干島展 #ただ今休館中 pic.twitter.com/zKbtBCQbjq
航路標識管理所関係の遺構はほかに、排水のための煉瓦造導水管、職員の居住施設である横浜港門灯台吏員退息所(よこはまこうもんとうだいりいんたいそくじょ)が見つかりました。
— 横浜市歴史博物館 (@yokorekihaku) 2020年4月30日
画像
左:煉瓦造導水管
右: 横浜港門灯台吏員退息所(右側基礎部分)#横浜歴博 #洲干島展 #ただ今休館中 pic.twitter.com/AMB0TpQDc0
展示では赤煉瓦に注目して、これまで煉瓦研究者の方々が明らかにした、製作方法や製造工場の特定といった成果の一部を紹介しています。#横浜歴博 #洲干島展 #ただ今休館中
— 横浜市歴史博物館 (@yokorekihaku) 2020年5月3日
赤煉瓦の作り方は大きく「手抜き成形」と「機械成形」に分けることができます。
— 横浜市歴史博物館 (@yokorekihaku) 2020年5月8日
「機械成形」の方が技術的には時期が新しいと考えられています。
さて、ノーヒントで問題です。画像のどちらが「手抜き成形」、「機械成形」でしょうか?
答えは5/9に呟きます。#横浜歴博 #洲干島展 #ただ今休館中 pic.twitter.com/99Dr1r7s8L
赤煉瓦の「手抜き成形」は、
— 横浜市歴史博物館 (@yokorekihaku) 2020年5月9日
型枠に粘土を手で押し込み、はみ出た部分は道具を使って取り除いて整えます。
型枠から抜き取ったら、たたき具などで仕上げます。
最も広い面には成型時の痕跡である、直線状の擦痕などが残ることが特徴です。
画像は模式図です。#横浜歴博 #洲干島展 #ただ今休館中 pic.twitter.com/nhZiUyLiMc
また、「手抜き成形」の赤煉瓦に正確な直方体のものは少なく、型枠から抜く際に歪みが生じてしまうようです。
— 横浜市歴史博物館 (@yokorekihaku) 2020年5月9日
これも特徴のひとつと言えるでしょう。#横浜歴博 #洲干島展 #ただ今休館中
赤煉瓦は日本では幕末から製造されるようになります。
— 横浜市歴史博物館 (@yokorekihaku) 2020年5月13日
製造した工場によって異なる刻印が打たれることから、これを調べることで場所を特定する研究が進んでいます。
洲干島遺跡出土の赤煉瓦にも様々な刻印が打たれていました。これからいくつかご紹介します。#横浜歴博 #洲干島展 #ただ今休館中 pic.twitter.com/YGXRxGHPq7
金子煉瓦製造所
— 横浜市歴史博物館 (@yokorekihaku) 2020年5月14日
現在の横浜市鶴見区矢向にて明治14~18(1881~1885)年に創業しました。刻印はカネジョウ。
矢向付近の鶴見川流域は明治時代から大正時代にかけて多くの煉瓦工場が操業しており、現在のところ、6ヶ所確認されています。#横浜歴博 #洲干島展 #ただ今休館中 pic.twitter.com/tVNF8bOLDe
横浜煉瓦製造会社
— 横浜市歴史博物館 (@yokorekihaku) 2020年5月15日
明治21(1888)年に横浜市中区相生町で創業し、明治26(1893)年に解散しました。
工場は別の場所、現在の川崎市幸区戸手付近の多摩川流域に所在しました。
放射状の刻印。#横浜歴博 #洲干島展 #ただ今休館中 pic.twitter.com/TWiuAWlDrj
御幸煉瓦製造所
— 横浜市歴史博物館 (@yokorekihaku) 2020年5月16日
横浜煉瓦製造所の解散後、川崎市幸区戸手付近の工場は、御幸煉瓦製造所として大正12(1923)年の関東大震災まで操業しました。
創業年代については諸説あり、はっきりとはわかっていません。
分銅形の刻印です。#横浜歴博 #洲干島展 #ただ今休館中 pic.twitter.com/KiQjdEsHK1
小菅集治監
— 横浜市歴史博物館 (@yokorekihaku) 2020年5月19日
明治12(1879)年に操業を開始し、大正12(1923)年まで。
桜の花弁や蕾など、複数種類の刻印が確認されました。#横浜歴博 #洲干島展 #ただ今休館中 pic.twitter.com/oOE8E3NKCt
日本煉瓦製造株式会社
— 横浜市歴史博物館 (@yokorekihaku) 2020年5月20日
現在の埼玉県深谷市で渋沢栄一らが設立し、明治21(1888)年から平成18(2006)年まで操業しました。
機械式煉瓦工場として、楕円形の囲み枠内に「上敷免製」、「日本」などの刻印を持つ煉瓦を製造しました。#横浜歴博 #洲干島展 #ただ今休館中 pic.twitter.com/NsvRiYsc9d
製造工場不明
— 横浜市歴史博物館 (@yokorekihaku) 2020年5月21日
洲干島遺跡からは、刻印の無いもの、「かな」・「カナ」・「記号」のみといったありふれた刻印のみのもの、特徴的であっても工場の比定ができていない刻印を持つものなど、製造工場不明の赤煉瓦もまた数多く見つかっています。#横浜歴博 #洲干島展 #ただ今休館中 pic.twitter.com/UBIDEz7GEm
開館時間、入館方法など詳細につきましては下記URLをご参照ください。https://t.co/uT92fJKcJZ#横浜歴博 #ただ今休館中
— 横浜市歴史博物館 (@yokorekihaku) 2020年5月29日
航路標識管理所内、横浜港門灯台吏員退息所の跡からは便槽遺構が見つかりました。
— 横浜市歴史博物館 (@yokorekihaku) 2020年5月30日
便槽遺構は洲干島遺跡内で21基、うち退息所からは13基確認されました。
数基の穴が間隔をあけて並んでおり、水洗式ではなく汲み取り式となっています。#横浜歴博 #ただ今休館中 #洲干島展 pic.twitter.com/jPnZqtmHlO
便槽遺構内の穴には甕が据え付けられていました。これには常滑の甕が使用されていました。
— 横浜市歴史博物館 (@yokorekihaku) 2020年6月2日
常滑は現在の愛知県常滑市周辺のことで、焼物の街としてつとに有名です。
常滑については、しばらく後に改めて話題にあげる予定です。
本日より開館、企画展示開始となりました。#横浜歴博 #洲干島展 pic.twitter.com/jSSMp7lksh
改修工事、そして新型コロナウイルス感染症拡大防止のため休館していましたが、10か月ぶりに本日再開しました!
— 横浜市歴史博物館 (@yokorekihaku) 2020年6月2日
時間や場所を限定してのオープンとなります。
ご来館の皆さまにはご理解ご協力のほどよろしくお願いします。https://t.co/22PpCeltAB #横浜歴博 #レックルがゆく
レ)おひさしぶり~ pic.twitter.com/BQd4OY4qh5
横浜市新市庁舎周辺に洲干島遺跡の遺構が一部移築、再現展示されています。
— 横浜市歴史博物館 (@yokorekihaku) 2020年6月19日
解説パネルも設置されており、当館の展示や、横浜開港資料館で再開催中、横浜都市発展記念館で再開催予定の企画展示と合わせてご見学いただくと、洲干島遺跡のことをより詳しく知ることが可能です。#横浜歴博 #洲干島展 pic.twitter.com/ZuFY8a82i4
横浜都市発展記念館で、
— 湘南考古学同好会 (@shounankouko) 2020年6月27日
9月22日まで開催中。
「大岡川沿いの新市庁舎建設地は、江戸時代から続く洲干弁天社の社地にあたり、建設に先立っておこなわれた埋蔵文化財(洲干島遺跡)の発掘調査では、開港期の石積み護岸や関東大震災で倒壊した建物基礎などの遺構が発見された」 https://t.co/Jplhhc29vv
開港期の大岡川護岸も残っていたらしいですよ。 pic.twitter.com/Gekb7uA2an
— 湘南考古学同好会 (@shounankouko) 2020年6月27日
州干島遺跡出土の煉瓦たち
— 煉化石(下駄っ歯)@近現代考古学 (@RengaKouko) 2020年7月4日
明治24年に設置された、航路標識管理所に伴うもの
断面を見ると、胎土は粒子が非常に細かく、混和材などほぼ使っていないとみられる
関西系の煉瓦に見られる「山岡線」や枠板に沿う粘土板痕も見られないため、手抜き成形とはいえ関西とは異なる作り方と考えられる
#煉瓦 pic.twitter.com/h9z9ser5a5
洲干島遺跡は、開港から関東大震災までの間、洲干弁天社の社地に始まり様々な土地利用が行われてきました。
— 横浜市歴史博物館 (@yokorekihaku) 2020年9月22日
北仲通沿いの公有地と文教地区、本町通り沿いの商業地区という、区分がわかる形で検出されたことで、明治・大正時代の横浜の街並みの一端が明らかとなりました。#洲干島展 #横浜歴博 pic.twitter.com/SScF4mn1YN
本町通り付近に、横浜銀行集会所などの洋風建築や、輸出入品の数々が保管された横浜商品倉庫弁天橋出張所が立ち並ぶその姿は、「国際都市」・「海外との窓口」といった開港以降形成され現在にもつながる横浜のイメージそのものといえるでしょう。#洲干島展 #横浜歴博 pic.twitter.com/lu5zxgmTft
— 横浜市歴史博物館 (@yokorekihaku) 2020年9月22日
洲干島遺跡にみられる明治・大正時代の街づくりにおいて、海外から持ち込まれた新たな技術を日本人が取り込んで活用してきたことがわかりました。
— 横浜市歴史博物館 (@yokorekihaku) 2020年9月22日
建築部材として大量に使用された煉瓦は、刻印から工場の特定が進み、横浜近郊で製造された煉瓦が使用されたことがわかりました。#洲干島展 #横浜歴博 pic.twitter.com/Evf32eh4cN
都市インフラ、特に西洋的な下水道の整備が行われてきたことは、横浜市内のこれまでの調査に明らかで、洲干島遺跡からは土管が出土しました。
— 横浜市歴史博物館 (@yokorekihaku) 2020年9月22日
土管は明治時代に入ってすぐ常滑を中心に国産化の目途が立ちました。
研究成果から製作技術とその採用年代の特定が進んでいます。#洲干島展 #横浜歴博 pic.twitter.com/8eTEH3OU9Q
かつての横浜の中心、洲干弁天社の地に新たな街ができ、2020年、その場所に横浜の新市庁舎が置かれました。
— 横浜市歴史博物館 (@yokorekihaku) 2020年9月22日
その足元には海外の技術を取り入れながら造った「明治・大正ハマの街」があったこと、周辺には多くの近代遺跡が存在することなど、想いをはせていただければと思います。#洲干島展 #横浜歴博 pic.twitter.com/GuD4NcyuSk
【備忘録】企画展「明治・大正ハマの街」 @横浜市歴史博物館
— Taro Fukasawa / 深澤 太郎 (@FukasawaTaro) 2020年9月22日
「横浜」の原点である「しゅうかんじま」の近代化遺跡について。遺物は、煉瓦、土管、陶器をはじめ、ガラス乾板に至るまで。近現代考古学の成果を凝縮。 https://t.co/Myd4eftlkE pic.twitter.com/Dlnf0pTKfB
横浜市歴史博物館の令和2年度企画展示「明治・大正ハマの街-新市庁舎建設地・州干島遺跡-」は9月22日をもちまして無事終了いたしました。
— 横浜市歴史博物館 (@yokorekihaku) 2020年9月22日
展示にご協力いただいた皆様、展示を観覧いただいた皆様、Twitterで展示解説を読んでくださった皆様ほか、厚く御礼申し上げます。#洲干島展 #横浜歴博 pic.twitter.com/vUrmtnVbso