太田市立九合小学校の道路を挟んで南隣の長良(ながら)神社の鳥居脇に、東京国立博物館蔵の国宝の埴輪「挂甲の武人」のレプリカが立つ。文献[1]によるとマツバラ(旧群馬県新田郡九合村大字飯塚字松原)の長良神社の境内に小高い塚があった、松原の長良神社は明治時代末にナカの長良神社に合祀された、昭和初期の不況対策の公共事業の道路改修の土採りで松原の塚が崩された時にいろいろな出土品が出た、挂甲の武人もこの時に出土した、その後の経緯は不明だが帝室博物館に収蔵され帝室博物館からの感謝状が長良神社にあった(現在は紛失)、松原の長良神社跡は宅地になったという。
文献
[1] 九合村物語委員会 2013「九合村物語」
[2] 田中麻里・深谷晃世・大里絵里子・星野雅範 2015「群馬県太田市九合地区の地域特性を子どもたちに伝える『九合村物語』の制作と読み語りの実践」『群馬大学教育実践研究』32号、群馬大学教育学部附属学校教育臨床総合センター
国宝 挂甲の武人(けいこうのぶじん) 古墳時代・6世紀 群馬県太田市飯塚町出土
— トーハク広報室 (@TNM_PR) 2020年9月30日
全身を甲冑で固めた大刀と弓矢をもつ勇ましい武人埴輪。
群馬県東部の太田市周辺では、高い技術とすぐれた表現力で作られた武人埴輪が数体出土しています。#東京国立博物館 #群馬 #47都道府県 #所蔵品紹介 pic.twitter.com/J8v2kne7pM