8月15日の上毛新聞の電子版は「1945年8月14日深夜から15日未明にかけての群馬県の伊勢崎空襲で、爆撃の痕跡が残る伊勢崎市大手町のれんが塀について、市は本年度、一部を同市曲輪町の市有地に移設し保存する事業を進めている。」と報じた。太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)8月15日0時8分から2時15分にかけて米軍のB29爆撃機が飛来し、200人以上の死傷者がでた伊勢崎空襲。塀には空襲の高熱にさらされた痕跡が黒く焦げたように残る。もともと塀は、旧羽尾商店(絹糸買継商)の倉庫兼作業場の一部だったと考えられ、戦後は「旧設楽外科医院」の塀として使われた。区画整理事業に伴う取り壊しが懸念されていた。