かみつけの里博物館の北側の保渡田八幡塚古墳を見学。







史跡保渡田古墳群 八幡塚古墳
国指定史跡保渡田古墳群とは
榛名山東南の麓、群馬県群馬町保渡田・井出にある 3つの前方後円墳の総称。いずれも墳丘の長さ100m級の大型古墳である。5世紀後半に、二子山古墳→八幡塚古墳→薬師塚古墳の順で相次いで造られ、この地に有力な豪族がいたことを示している。
八幡塚古墳の復元整備
かつて、この古墳は大きく削られていた。そのため史跡公園の全体計画にあたり、この古墳に限って、造られた時の姿に復元し、活用することが決定された。
5カ年にわたる発掘調査結果を基に、古墳に保存用の土を厚く盛って、築造時の姿に復元整備した。
今から1500年前につくられた 八幡塚古墳
八幡塚古墳は、南東1kmにある三ツ寺遺跡(巨大な館)に住み、榛名山東南麓・井野川流域を治めた豪族の墓である。当時、群馬県地域(上毛野)は国内でも有力な地域であった。八幡塚古墳の被葬者は、古墳の充実度からみて、この頃、上毛野各地に勢力を持った豪族達のなかでも代表的な人物であったと考えられる。
■規模と構造
墳丘は全長96mで3段に造られ、斜面は葺石で飾られる。周囲には、内堀・外堀・外周溝が巡り、それらの間には内堤・外堤が設けられる。
墓域の長さは約190mに及ぶ。内堀の中には4つの島(中島)があり、この古墳の特徴となっている。
■埴輪の充実
この古墳には、たくさんの埴輪が並べられていた。外界との垣根である円筒埴輪は、幾重にも列をなして並べられ、その数6000本と推定される。内堤上の2カ所には人物・動物埴輪を置く区画(A区・B区)があり、各々50体以上が並んでいたと考えられる。これは、一つの古墳では最多級の量で、かつ配列状態もわかる重要な資料である。
■埋葬施設
遺体を納めた施設は、後円頂部に2カ所存在した。後円部の中心には舟形石棺が据えられた。古墳を築いた豪族本人の棺であろう。その脇には竪穴式石槨(木棺を石で囲んだもの)も発見された。近親者の埋葬施設であろう。
●この古墳に関する情報・遺物は南側の「かみつけの里博物館」に展示されている。




人物・動物埴輪群像(A区形象埴輪配置区)
内堤(ないてい)の上に、円筒埴輪による区画(約11m×5m)を設け、54体ほどの形象埴輪(人物や動物・道具類をかたどった植輪)が置かれていた。
この区画の最初の調査は1929(昭和4)年に行われたが、出土埴輪の約半分は失われた。ここに復元した埴輪は、現存資料や記録類、新たな出土資料を検討したうえ、想定復元したものである。
椅子に座った人々のグループ、立ち姿の人々のグループ、狩りをする人と動物、整列する人や動物のグループなどいくつもの場面が見られ、様々な儀礼の様子を表わしたものだと考えられる。
東日本の人物・動物埴輪でも早い時期に属し、かつ最も内容が整った事例として知られている。


墳丘と葺石
墳丘は、堀を掘った土と近くから集めた土を盛り上げ、たたき締めて築かれた。斜面には、榛名山東南麓の川から採取した石により「葺石」が施される。
上段・中段の葺石は、やや石の密度が高い状態で施工され、下段の葺石は間隔をあけて省略していた。
葺石のなかにみえる縦の石列は、一人ないし一班の作業単位(工区)だと考えられる。
各段の平坦面のうち中段平坦面には、玉石が敷かれ ていた。

