葛飾区郷土と天文の博物館で開催中の『東京低地に人が住み始めた頃ー古墳時代前期のかつしかとその周辺ー』を鑑賞した。本展は、東京低地の古墳時代前期の諸遺跡を取り上げ、発掘調査で見つかった井戸、溝など地面に残された痕跡、また、土器などの出土資料から、東京低地で人が暮らすようになった時期の集落の様子を探る。東京低地に居住する何百万人の都民、埼玉県民は必見の企画展。この博物館は初めて訪れた。常設展示でかつしかの古墳から出土した埴輪などを鑑賞した。また、昭和30年代ごろの民家(町工場)を再現した展示はノスタルジックだった。
本展で取り上げられた遺跡は豊島馬場遺跡(北区)、町屋四丁目実揚遺跡(荒川区)、鍛治谷・新田口遺跡(戸田市)、伊興遺跡(足立区)、舎人遺跡(足立区)、三ツ和遺跡(川口市)、毛長沼外瓦A遺跡(草加市)、東地総田遺跡(草加市)、東沼田遺跡(草加市)、上小岩遺跡(江戸川区)、御殿山遺跡(葛飾区)、舟渡遺跡(板橋区)。北区と足立区と戸田市の遺跡は訪れたことがありブログ記事で取り上げている。他の遺跡も機会があれば巡りたい。なお、本展では方形周溝墓と周溝を有する建物を区別している。これは豊島馬場遺跡のブログ記事に書いた最近の研究による見解。6月の戸田市立郷土博物館の企画展でも説明されていた。
2018年7月5日 木曜日 21:35📷
— Andiamo!空の彼方へ (@taku_oikawa) 2018年7月13日
日暮里で舎人ライナーに乗り換えた。
座席の模様が先月江戸東京博物館の企画展
『発掘された日本列島2018 地域展』で見た装飾古墳を彷彿とさせた。https://t.co/fnZFSpA8CK
終着駅コンコースには弥生式土器がある。
舎人遺跡は足立区最古の村。卑弥呼と同時代の井戸跡も👑 pic.twitter.com/WnakXF9wf0
舎人遺跡の資料展示。足立区最古の村らしい。
— ritsuka (@ritsukaPya) 2020年1月2日
(日暮里・舎人ライナー 見沼代親水公園駅 2009年) pic.twitter.com/lRaiYQO4aN
6月の戸田市立郷土博物館の企画展の展示解説で鍛冶谷・新田口遺跡10次調査で大量に出土した土器について学芸員に解説していただいた。
図録と過去の資料を購入
葛飾区郷土と天文の博物館|Katsushika City Museum
企画展「東京低地に人が住み始めた頃 ―古墳時代前期のかつしかとその周辺―」 | 企画展・特別展 | 葛飾区郷土と天文の博物館|Katsushika City Museum
かつしかの遺跡紹介 | 文化財・かつしかの遺跡 かつしかの遺跡紹介 | 葛飾区郷土と天文の博物館|Katsushika City Museum
#023 解題 福田 聖 著 『低地遺跡からみた関東地方における古墳時代への変革』上 及川良彦 | 研究調査コラム | 遺跡調査部
#024 解題 福田 聖 著 『低地遺跡からみた関東地方における古墳時代への変革』下 及川良彦 | 研究調査コラム | 遺跡調査部
「東京低地に人が住み始めた頃−古墳時代前期のかつしかとその周辺−」葛飾区郷土と天文の博物館。
— 古代人? (@Kikiki93886931) 2022年11月30日
東京低地に遺跡はない?
葛飾区は発掘調査を続け古墳時代の集落や古墳も発見。
低地にも遺跡があることを証明。
古墳時代前期に東海地域からの入植者が開拓していった。
東京低地の様相を探る展示。 pic.twitter.com/aZa0ZVWE1H
待ってました。葛飾の墳丘活はまだとっておいたので。 https://t.co/1nlEOgD2GM
— ぶじん(挂甲の武人) (@kufunmeguri9) 2022年11月30日
❌ 墳丘活
— ぶじん(挂甲の武人) (@kufunmeguri9) 2022年11月30日
⭕️ 墳活
しかし、葛飾には墳丘の残っている古墳はない。葛飾の墳活とは?
ま、厳密に言えば、発掘調査の結果、柴又八幡神社古墳の墳丘盛土は社殿下に わずかに残っていましたけどね😉
— TORU Suzuki (@TORUSuzuki10) 2022年12月1日
東京都 葛飾区郷土と天文の博物館
— TORU Suzuki (@TORUSuzuki10) 2022年12月1日
これは必見ですね😍https://t.co/UnUz2kP6l7 pic.twitter.com/JyNWFuwGmN
コレミテ(227)
— 川口市立文化財センター 郷土資料館 (@VQ4dQ20EGBETyyQ) 2022年12月9日
うちの子が、お世話になります!
明日、12月10日(土)から葛飾区郷土と天文の博物館で開催される『東京低地に人が住み始めた頃ー古墳時代前期のかつしかとその周辺ー』に、川口市の土器が展示されます。
これが、面白いカタチで・・・つづく#川口市 #郷土資料館 #葛飾区 pic.twitter.com/aLQ0gWKJM5
コレミテ(228)
— 川口市立文化財センター 郷土資料館 (@VQ4dQ20EGBETyyQ) 2022年12月10日
うちの子が、お世話になります!②
この土器、古墳時代に作られたのですが、格好良くないですか?
さらに、この土器を引っくり返すと!?・・・つづく
本日から開催している「葛飾区郷土と天文の博物館」の企画展に出張中!#川口市 #郷土資料館 #葛飾区 #郷土と天文の博物館 pic.twitter.com/0Y1e6fRSH2
コレミテ(229)
— 川口市立文化財センター 郷土資料館 (@VQ4dQ20EGBETyyQ) 2022年12月11日
うちの子が、お世話になります!③
穴…?
土器をつくる時に、はじめからわざわざ空けた穴。
一体、なんのため?
この土器も、葛飾に出張中!#川口市 #郷土資料館 #葛飾区 #郷土と天文の博物館 #古墳 #古墳時代 #土器 #穿孔 pic.twitter.com/XShS28w1X3
葛飾区郷土と天文の博物館で開催中の展覧会図録
— 井上渉子 (@kae_fujimori) 2022年12月14日
(協力者としてクレジットされている友人が見せてくれた) pic.twitter.com/LGRFHjY4A6
葛飾区郷土博で特別展 #東京低地に人が住み始めた頃 を観てきました。古墳時代初期各遺跡間の共通して様相、東海のS字土器や大廓式土器、祭祀遺跡からの遺物が目を引きました。 pic.twitter.com/aKBoCTMYJI
— shigesoul (@BackInMusashi) 2022年12月17日
— shigesoul (@BackInMusashi) 2022年12月17日
リニューアル「葛飾区郷土と天文の博物館」。
— 古代人? (@Kikiki93886931) 2021年4月22日
やっと都民以外も見学可になった。
展示方式が変わった。
歴史部分が劇場型から古文書を淡々と並べる形になっていた。
その成果は不明。
柴又八幡神社古墳。
東京低地の開発は下総からの移住だったのだろう。
この下総形埴輪は新しいのかな。 pic.twitter.com/9bGSJay5SE
巫女の万歳がぎこちないが今城塚古墳の祭祀を守っている。
— 古代人? (@Kikiki93886931) 2021年4月22日
今回見て思ったのが古墳の形がけっこうイビツに復元されているなあ。
もう少し円形にならないのかな?
今回のリニューアルの評価はまだわからない。
この博物館は区民との協働で作ってきたと思う。
その活動が今後どうなるか。
期待します。
葛飾区を色々訪ねて🚶
— カメレンジャー (@lspHRBCcivFvOPa) 2022年7月5日
葛飾区立郷土と天文の博物館
昭和30年後半位の設定かな、当時の家庭の様子と町工場のセット再現されてます。
ダイハツミゼットがかわいかった~😃
この位涼しいとコンディション上々👍
今日も頑張りましょう☁️▶️☔ pic.twitter.com/0Ztk32TawJ
「東京低地に人が住み始めた頃」葛飾区郷土と天文の博物館。
— 古代人? (@Kikiki93886931) 2022年12月30日
知られざる東京低地の遺跡を悉皆的に展示。
荒川下流域の戸田市鍛冶谷・新田口遺跡が弥生時代後期からいち早く集落を形成し始める。
さいたま市大久保・領家遺跡とともに前期初頭の前方後方墳、塚山古墳を造営する。
邪馬台国の時代かな。 pic.twitter.com/xUDcLmus3Q
さらに荒川下流域や毛長川の陸地化に伴い集落は拡大していく。
— 古代人? (@Kikiki93886931) 2022年12月30日
S字形甕や二重口縁壷など外来系土器が多くを占める。
多様な地域からの移住が行われているようだ。
川口市高稲荷古墳が広域首長墓として築造される。
北区豊島馬場遺跡のガラス小玉鋳型などは古墳造営の中核集落の内実を示すものだろう。 pic.twitter.com/f8RfHDruFe
4世紀中葉以降、荒川区、足立区、葛飾区、江戸川区の低地遺跡が続々と成立する。
— 古代人? (@Kikiki93886931) 2022年12月30日
蔦巻の壷は井戸の水汲み用。
低地は井戸が必須。
中実脚高坏は台地遺跡では珍しい。
畿内色の濃い土器。
集落は水運と漁労を生業としていた。
畿内−東海−武蔵−毛野を結ぶ動脈でもあった。
伊興遺跡は5世紀まで継続。 pic.twitter.com/LxRFa9yE3D