7月に大洗町幕末と明治の博物館を訪れた際に寄り道した遺跡を振り返る。茨城町の小幡北山埴輪製作遺跡は、涸沼川と寛政川にはさまれた標高22.5~27mの台地にあり、古くから「カベット山」(壁土山)と称され、良質の粘土のとれる場所として知られていた。1953年(昭和28年)、開墾作業中に人物埴輪、円筒埴輪、馬の埴輪などが出土。1987年(昭和62年)、偶然、埴輪製作の窯跡が発見され、1988年までに3次にわたる範囲確認調査が実施。埴輪窯59基、工房跡8棟、粘土採掘坑二か所などが確認された。59基の窯の数は全国で一番多い。
埴輪窯跡
登り窯
粘土採掘坑
模擬古墳
平成5年度開園の茨城県茨城町の小幡北山埴輪製作遺跡公園。開園後30年が経過。復元された前方後円墳。墳端に円筒埴輪が並びます。古墳築造・埴輪樹立後、一世代代わり。忘れさられた史跡公園。埴輪が壊れ、基底部しか残っていないなど、興味深い! pic.twitter.com/jRSCvFxGcZ
— 蓼沼香未由 Kamiyu Tatenuma (@ibakoukoya) 2023年12月4日