週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

「千住宿400年」 足立区立郷土博物館

足立区立郷土博物館で開催中の特別展「千住宿400年」を鑑賞した。千住宿開宿400年を迎えた千住の旧家で受け継がれてきた美術品などを展示する。特別展のポスターを飾る「千手観音立像 御前立」は「赤門寺」と呼ばれ親しまれている勝専寺の秘仏・千手観音立蔵(非公開)の、礼拝のための像として、東京藝術大学名誉教授で仏師・彫刻家の藪内佐斗司氏の作品で本展が初お披露目。秘仏・千手観音立蔵は、勝専寺を開基した新井政勝の父政次が荒川から本像を引き上げ、深く信仰したと伝わり、 一説には千住の地名の由来とされる。

f:id:kofunmeguri:20251101024739j:image
f:id:kofunmeguri:20251101024743j:image

12年ぶりに組み立てられた千住四丁目氷川神社山車、最上には静御前人形。
f:id:kofunmeguri:20251101024917j:image
f:id:kofunmeguri:20251101024831j:image
f:id:kofunmeguri:20251031185520j:image

f:id:kofunmeguri:20251101130531j:image

この地域一帯は、かって東京府南足立郡東淵江村と呼ばれていました。東に中川、西は綾瀬川の清流に恵まれ、静かな田園風景が縁ゆたかにひらけていました。のどかな春には中川堤の桜並木が光まぶしく咲きほこり、みのりの秋には黄金の稲穂が風になびいて、人びとの心なごます美しい農村地帯でした。

やがて時移り、都市化の波が押し寄せてきて、このあたりも昭和四十年ごろには農業がむずかしくなり、近代的な街づくりが必要となりました。かくして昭和四十三年に土地区画整理組合が設立され、都市計画の基に整然とした街がここに完成しました。

いま、この街に昔の面影は全く見られませんが、培われた心や古里の歴史を偲び、現在、そして未来を美しく生きていくために、芸術院恩賜賞、芸術院賞に輝やく高橋剛先生にお願いしてこの「郷愛」像を建て、足立区に寄贈しました。

昭和61年10月27日 大谷田上土地区画整理組合

にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・原始・古墳時代へ
にほんブログ村