南下古墳群石室公開デーに参加する前に吉岡町の古墳を巡った。
吉岡町役場に移設復原された滝沢古墳。文献[1]の吉岡町47[現状:X、墳形:円、直径12.6mX11.8m、両袖型横穴式石室、総覧:明治村133、町史跡]








滝沢古墳
この古墳は、下野田の滝沢川右岸に存在したが関越自動車道沿線にかかったので、発掘調査後、ここに築造当初の形に推定復原したものである。
墳丘は直径12m、高さ2mほどの小円墳である 。高さ1mの付け基壇を有し、石室前には台形に開く 前庭がある。墳丘の表面には軽石や川原石を用いた葺石がある。周囲には浅い堀が存在した。
埋葬主体部は、全長5.5m、玄室長2.7m、玄室幅1.8mの横穴式両袖型石室である。側壁の下半部には浮石質角閃石安山岩、上半部には硬質安山岩を配する乱石積である。壁石の一部は鑿(のみ)で削られ、玄室入口には切石の玄門があり、末期的様相を呈している。
副菜品に古い開口なので、釘、刀子の破片が僅かに出土しただけで埋納当初の状況は明らかでない。
古墳の年代は、石材の加工技術や構築法などから七世紀と考えられる。この地域を支配した小豪族の墓であろう。
昭和59年3月30日 吉岡村教育委員会


文献