週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

宮城氏居館之趾 足立区宮城

足立区宮城の荒川土手すぐ近くに鎮座する氷川神社に「宮城氏居館之趾」の碑がある。宮城の地名は中世の宮城氏に由来する。宮城氏は豊島氏の庶流。始祖は葛西清重の子朝清とも清重の4代後の豊島重信の子八郎重中とも伝わるが定かでない。宮城の氷川神社は、1914年(大正3年)に荒川放水路工事に伴い、現在の荒川河川敷内から移転してきた。故に、現在の氷川神社の地に宮城氏の居館があったということではないだろう。

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境内社浅間神社富士塚
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宮城氏居館之趾の碑
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此の宮城の地たる、もと中世の豪族宮城氏の居館を構えし所なり 宮城氏は武州豊島郡を領せる豊嶋の一族にして、凡そ五百数十年前 豊島重信の子重中は新たに足立郡宮城を領し、地名を冠して姓とし、吉國、政業、爲業相継ぎて此の地を知行す 幾ばくもなく北條氏康関東を征す 是によって宮城氏改めて其の摩下に属し、屢戦功を立て、足立郡のほか各所に知行を与えらる 後 爲業の子泰業 太田氏房に従い武州岩槻城に移り 天正十八年五月 太田氏豊臣秀吉の為に滅ぼされるや 宮城氏亦是に随して亡ぶ 氏房は蓋し氏康の孫なり 洵に宮城の地たる 此の如き由緒を有す 然るに今其の来歴を知る者殆どなく 識者常に之を遺憾とす 依て今回其の事績を顕るため 碑を館跡に建て梗概を記して世人に知らしめ 併せて是を後世に残さんとす 昭和四十六年十一月三日 高梨輝憲撰 立誉了巌書

稲荷社(右)と水神宮(左)
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2019年に足立区立郷土博物館で「戦国足立の三国志」として、宮城氏・舎人氏・武蔵千葉氏が取り上げられた。本展では、宮城氏の出自として陸奥国宮城郡(現在の仙台市など)の宮城氏とする説を紹介する。

https://www.city.adachi.tokyo.jp/documents/42838/20190310_0607.pdf

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