渡柳の3古墳(戸場口山古墳、中の山古墳・奥の山古墳)の一基、埼玉古墳群の戸場口山古墳は、大正時代ごろに土取りされ、周辺の沼の埋め立てに用いられたという。この土取り工事中に畳2〜3枚ほどの石が掘り出されたという話が伝わる。さきたま資料館が昭和61年度から実施した県内主要古墳の調査として、昭和63年度(1次)、平成元年度(2次)、平成2年度(3次)に、戸場口山古墳・中の山古墳の間の2本のトレンチを含む、6本のトレンチを戸場口山古墳に入れ調査した。文献[2]によれば「一辺42mで二重周堀を有するやや大型の方墳である可能性が強まった。」「中の山古墳の外堀が戸場口山古墳外堀を壊して造成されていたらしいことが確定」、文献[3]では「方墳、一辺40m、須恵器、安山岩、二重周堀確認」
文献
- 駒宮史朗 1989 「県内主要古墳の調査(Ⅱ)戸場口山古墳範囲確認調査」『調査研究報告』第2号, 県立さきたま資料館
- 県立さきたま資料館 1994 「県内主要古墳の調査(Ⅲ)戸場口山・中の山古墳範囲確認調査」『調査研究報告』第7号, 県立さきたま資料館
- 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」
- 埼玉県教育委員会 2018「史跡埼玉古墳群 総括報告書I」