週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

地蔵塚古墳 (再訪) 行田市藤原町

今年もよろしくお願いします。
新年最初のブログ記事は、昨年11月19日に開催された史跡探訪「行田市内の史跡を巡る」で訪れた地蔵塚古墳。過去に2回訪れていて、線刻壁画がある横穴式石室の閉ざされた扉の中を、いつか見学したいと思っていた。2020年3月の北大竹遺跡の遺跡見学会の際に地蔵塚古墳と八幡塚古墳を巡る遺跡ガイドツアーが企画された。この時は、地蔵塚古墳の石室内部が公開されるとのことだった。ところが、直前に、新型コロナウイルスによる感染症対策のため中止となった。今回の史跡探訪「行田市内の史跡を巡る」のコースは「秩父鉄道 東行田駅 集合 → 地蔵塚古墳 → 八幡山古墳 → 若王子古墳跡 → 白山古墳 → 白山愛宕山古墳 → 埼玉古墳群 → さきたま史跡の博物館 解散」で歩行距離は約7.1km。地蔵塚古墳がコースに含まれていたので、もしやと思い申込んだが、そのもしやが的中して、地蔵塚古墳石室の扉が開いた。この扉が開らくのは今年は初めてとのこと。行田市教育委員会文化財保護課課長より、地蔵塚古墳は、1963年の発掘調査で検出された溝から一辺28mの方墳と考えられるとされてきたが、最近の調査結果から、その溝は周溝ではなく、墳丘の規模はもう一回り大きく、墳形についても再考中とのお話があった。正式な報告書の発行が待たれる。


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県指定史跡 地蔵塚古墳 昭和38年3月29日指定

この古墳は、若小玉古墳群の一つで、墳頂に地蔵堂が安置されていることから、地蔵塚古墳と呼ばれています。

墳形は、方墳と思われ、築造時期は、7世紀中葉頃と考えられています。規模は、一辺約28メー トル、高さ約4.5メートル、周堀幅約1メートル、深さ40〜50センチメートルです。石室の形態は、胴張りで、奥壁と天井石は緑泥片岩、他は安山岩の切石を用いています。奥壁及び側壁下には、根石が置かれていました。遺物としては、石室内から、鉄鏃(矢じり)片や須恵器片が少量出土しています。

この古墳の最大の特徴は、左壁・右壁及び奥壁に線刻画が描かれていることです。烏帽子を被った人物、弓を引いている人物、馬、水鳥、家かと思われ るものが描かれています。北武蔵唯一の線刻画として、大変貴重なものと言えます。

平成元年3月 埼玉県教育委員会 行田市教育委員会

線刻画のレプリカ(埼玉県立歴史と民俗の博物館)

地蔵塚古墳/行田市

東行田駅前の案内板

文献

[1] 行田市教育委員会 1986 『埼玉県指定史跡地蔵塚古墳保存整備工事報告書行田市教育委員会

[2] 青木弘 2017「埼玉県行田市地蔵塚古墳の調査」『早稲田大学東アジア都城シルクロード考古学研究所 調査研究報告第4冊:デジタル技術を用いた古墳の非破壊調査研究早稲田大学東アジア都城シルクロード考古学研究所 

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