週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

稲荷塚古墳 (再訪) 多摩市百草

7年ぶりに多摩市の稲荷塚古墳を訪れたら、なんかスッキリしていた。

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東京都指定史跡 稲荷塚古墳(いなりつかこふん)

全国的に珍しい八角形境。幅2mの周溝の内側に径34m・2段の墳丘を築き、2段目に切石造りの横穴式石室がある。7世紀の古墳。近畿以外で八角形墳が発見されたのは初めてである。

多学市教育委員会

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東京都指定史跡 稲荷塚古墳(いなりづかこふん)

古墳とは、土を盛り上げてつくられた墳丘をもつ有力者の墓で、3世紀の末頃から8世紀の初め頃に かけての約400年間に、全国で15万基ほどつくられたといわれています。この稲荷塚古墳は、7世紀の前半頃につくられたものとみられ、古墳の形は全国的にも珍しい八角形と考えられます。

古墳の全長は38mで、一番外側に幅2mほどの周溝とよばれる空堀がめぐっています。その内側が 長さ34mの墳丘で2段に築かれています。墳丘1段目は周溝の内側に6mでめぐる低い段で、地上から見て約2mの高まりとして残っている部分が長さ22mの墳丘2段目にあたります。もとは4mほどの 高さがあったとみられますが、明治時代に墳丘2段目を削って神社が建てられたことから、半分ほどの 高さになっています。

墳丘2段目には、遺体を葬った石でつくられた部屋があります。横穴式石室とよばれるもので、天井部分の石はなくなっています。全長約7.7mで、一番手前が通路である羨道、真ん中が前室、一番奥が玄室という部屋になっています。部屋の底には握りコブシほどの石が敷きつめられています。横穴式石室は河原石などの自然石を積みあげてつくられるものが多いのですが、この古墳では凝灰岩質泥岩という柔らかい石を平らに削って加工した切石とよばれる石材を組み合わせて精巧な部屋がつくら れています。また、玄室奥壁には幅約1.2m、高さ約1.6mの鏡石とよばれる一枚石や、玄室と前室の境には高さ1.7mほどの巨大な門柱石が使用されており、当時の高度な技術をうかがうことができます。

稲荷塚古墳の石室は、木造の覆屋で露出公開してまいりましたが、非常にもろい石材でつくられて おり、傷みが激しくなってきたことから、薬品などによる保存修理を行い、埋め戻して保護することになりました。石室の埋まっている位置はブロック舗装で示してあります。

多摩市教育委員会

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東京都指定史跡 稲荷塚古墳(いなりづかこふん)

所在地 多摩市百草1140-1稲荷神社内
指定  昭和28年6月19日旧史跡指定
    昭和33年10月7日 史跡指定

稲荷塚古墳は多摩丘陵の北辺、多摩川に注ぐ大栗川右岸の舌状台地上に立地しています。凝灰岩の截石切組積(きりいしきりぐみづみ)で築かれた胴張り複室構造の横穴式石室を主体部とします。石室は全長約7m、玄室部高約2mです。築造年代は七世紀前半と推定されています。昭和61年・平成2年の墳丘周囲の確認調査では周溝が確認され径約34mの円墳とされましたが、畿内などで十数例が知られるにとどまる、全国的にも類例が少ない八角形墳とも考えられています。平成6年の調査では、墳丘下部に一直線に並ぶ貼石が確認されました。これは墳丘裾部に配置された装飾や区画のための外護列石の可能性があります。

 

外塚幅38mで幅2m周溝が巡り、その内側に復元高4mの墳丘が想定されています。二段築成で、墳丘一段目は幅6mのテラス状を呈しています。墳丘二段目は対角径22mで、ここに主体部が構築されています。主体部の中軸線は稜角に一致しています。設計において、高麗尺(一尺=35.5cm)が基準尺として使用されたと推測されます。副葬品の内容は不明です。周溝東北側から七世紀前半頃と思われる土師器甕・坏の破片が出土しています。現在、石室は保護のため埋め戻されていますが、平面形が分かるよう表示がなされています。

平成22年3月建設 東京都教育委員会

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資福院跡
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文献

  1. 多摩市遺跡調査会調査団 1987 『多摩市埋蔵文化財調査報告12:稲荷塚古墳 』多摩市教育委員会
  2. 多摩市遺跡調査団 1991 『多摩市埋蔵文化財調査報告書24:東京都指定史跡稲荷塚古墳』多摩市教育委員会
  3. 多摩地区所在古墳確認調査団 1995『多摩地区所在古墳 確認調査報告書』
  4. 多摩市遺跡調査会調査団 1996 『多摩市埋蔵文化財調査報告39:稲荷塚古墳』多摩市教育委員会
  5. たましん歴史・美術館歴史資料館 2010「特集 多摩川流域の七世紀代古墳」『多摩の歩み』第137号 たましん地域文化財

文献[5]を購入した。

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