週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

円墳大塚古墳 皆野町皆野

2月に埼玉県立自然の博物館で特別展「The 蛇紋岩」を鑑賞した後で、皆野町秩父市で古墳巡りを楽しんだ。最初に訪れたのは円墳大塚古墳。周溝に植えられた梅が開花していた。文献[2]では「円墳、径30m、横穴式石室、周堀確認、土師器」

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円墳大塚古墳

昭和33年3月20日指定 所在地 皆野町大字皆野字毛無塚95

秩父地方の古墳は、現在のところ古墳時代後期になってから築造されたと考えられている。大部分は小規模な円墳が集まって、一つの群を構成している。大塚古墳は、秩父地方に現存している古墳の中では大規模なもので、直径約33m、高さ約7mである。墳丘は円礫の著名で覆われ、周囲には幅約4m、深さ約1mの周溝がめぐっている。

石室は横穴式で、南南西の方向に開口している。

羨道(玄室といわれる棺が埋葬される主体部への通路)の入口である羨門付近は破壊されている可能性があるが、玄室の入口にあたるは東側の門柱、冠石、框石(しきみいし)が良好な状態で残されている。玄室は胴張り両袖型で、床にくらべて天井が狭いドーム状に構築されている。

石材は、天井と奥壁には巨大な磐石、側壁には下部に大型の割石を縦に、上部では小型の割石を小口積みに、いずれも秩父の地域性を反映して片岩が用いられ、積み石の間隙部には小石や石綿が充填されている。また、床にはこぶし大の河原石が敷き込まれている。

江戸時代にはすでに石室は開口しており、副葬品は発見されていない。また、埴輪も確認されていないが、石室の形から7世紀の第2四半期に築造されたものと推定される。

平成6年3月31日 埼玉県教育委員会 皆野町教育委員会

円墳大塚古墳 | 秩父音頭のふる里 皆野町 埼玉県秩父郡皆野町ホームページ

文献

[1] 埼玉県 1982「新編埼玉県史 資料編 2 原始・古代 弥生・古墳」

[2] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」

[3] 宮川進 1997「さいたま古墳めぐり」

[4] 塩野博 2004「埼玉の古墳 比企・秩父」さきたま出版会

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